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創世記

はじめに神

創世記1:1

「はじめに神」

それらはシンプルな言葉ですが、私の目に留まりました。なぜだろうか?どうしてその言葉は私の心に響いたのでしょうか。

おそらく、そのシンプルな言葉には本当に深い意味があるからでしょう。

「はじめに神様」。

「はじめに進化」ではなくて、「はじめに神様」と書いてありました。

もし私たちが進化によって生まれたのであれば、私たちは自然の偶然にすぎません。

けれども、私たちが偶然の生物だとすれば、結局私たちの人生には全く意味がないのです。私たちは動物と同じように生まれて、いつか死ぬのです。

しかし、私たちは偶然の存在ではありません。はじめから神様は、私たちを知り、私たちのために計画を持っておられました。私たちの人生の意味は神様にあります。

ですから、私たちの人生の意味を見つけたいのであれば、神様から始めなくてはなりません。

それ以外のところから始めようとするなら、私たちには虚しさしか見つけられないのです。私たちの大前提が間違っているからです。

ソロモンという王はその真実を深く理解していました。ソロモンはイスラエルの最も偉大な王でした。最も裕福で、最も賢く、彼の王国には平和がありました。

けれども、神様を捨て、自分の幸せを追求しました。多くの女の人と結婚し、多く働き、多くのことを学びました。

ところが、結局ソロモンが言ったのは「空(くう)の空、すべては空」ということです。

つまり、「すべては虚しい。神様から離れては、私を満足させるものは何もないのです。私の人生は無意味です。」

なぜでしょうか?神様自身が命なのですから。もし神様から離れたら、私たちの人生は虚しくなります。

私の人生について考えると、自分に問いかけなくてはならないのは「私は本当にそれを信じているだろうか」ということです。

私は毎日、起きてから寝るまで神様と共に歩んでいるでしょうか。神様は私の全てでしょうか。それとも、私は神様から離れて歩んでいるのでしょうか。

実際、神様から離れて歩むことは簡単です。神様は目に見えないからです。だから神様を無視することはとても簡単なことです。

私はよく仕事をしたり、スポーツ観戦をしたり、インターネットを見たり、ゲームをしたりします。

それらは悪いことではありませんが、ソロモンが言ったように、私が神様から離れていては、私の人生は虚しくなります。

一時的に満足するかもしれませんが、結局私の人生は虚しくなってしまいます。

この世界のものは神様からのギフトです。しかし、ギフトは一時的なものです。そのため、そのものには永遠に満足させる力がありません。

その一方、神様は永遠の方です。神様は満足を与えてくださる方です。

だから一時的なギフトを求めてはいけません。むしろ、ギフトを与えてくださる方を求めましょう。

そうすれば、私たちの人生の意味を見いだすことができます。

また、私たちは本当の満足を見いだすことができるのです。

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