カテゴリー
創世記

神様のさばき

創世記 7章

こうして地の上を動いていたすべての肉なるものは、鳥も家畜も獣も地に群生するすべてのものも、また全ての人も死に絶えた。

命の息を吹き込まれたもので、 かわいた地の上にいたものはみな死んだ。

こうして、主は地上のすべての生き物を、人をはじめ、動物、はうもの、空の鳥にいたるまで消し去った。それらは、地 から消し去られた。

ただノアと、彼といっしょに箱舟にいたものたちだけが残った。(創世記 7:21-23)

上の言葉は本当に切ないですね。

多くの人々は尋ねます。「どうして神様はそのような恐ろしいことをされたのでしょうか。どうして神様は地上のすべての生き物を滅ぼされたのでしょうか。」

旧約聖書では、神様は人々を裁かれ、時にはある民族を完全に滅ぼされることもありました。そのため、ある人々は言います。

「旧約聖書の神様はあまり好きではありません。その神様は本当にひどい方ですから。新約聖書の神様の方が好きです。その神様は愛の神、恵み深い神ですから。」

けれども、そのような考え方は間違っています。旧約聖書にも神様の恵みと愛がはっきりと現れています。

そして、新約聖書にも神様の裁きがはっきりと現れています。特に、黙示録にその裁きが記されています。

どうして神様は人々を裁かなくてはならないのでしょうか。

多くの人々は神様について二つの誤解を持っていると思います。

一つ目は、神様は愛の神でしかないという考えです。

だから彼らは尋ねます。「どうして愛の神様はそのようなことをされるのですか。」

しかし、その人たちが知らないのは、神様が聖なる方であるということです。神様は罪を見過ごすことができません。また、神様は正義の神です。神様は永遠に罪を容認することはできません。

いつか神様は罪を罰しなければなりません。もしそうしなければ、神様はもはや正義の神ではないからです。

もう一つの誤解は、神様が裁きを喜んでいるということです。けれども、その考え方も間違っています。神様は預言者エゼキエルを通してこう言われました。

私は悪者の死を喜ぶだろうか。神である主の御告げ。かれがその態度を悔い改めて、生きることを喜ばないだろうか。(エゼキエル書18:23)

また、

彼らにこう言え。「私は誓って言う。神である主の御告げ。私は決して悪者の死を喜ばない。かえって、悪者がその態度を悔い改めて、生きることを喜ぶ。

悔い改めよ。悪の道から立ち返れ。イスラエルの家よ。なぜ、あなたがたは死のうとするのか。(エゼキエル書33:11)

真理は、神様が正義の方であると同時に、忍耐強い神であるということです。

時々、神様の正義に文句を言う人が、神様の忍耐を見て苛立ち、こう言います。

「神様が正義の方であるならば、なぜこれほど多くの悪が存在しているのですか?悪い人が罰せられずに、栄えているように見えます。」

けれども、そのようなことを言う人々は、自分自身の罪にはほとんど気づいていません。

聖書によれば、すべての人々は罪を犯します。もし今、神様がすべての罪人を裁くとしたら、誰も生き残ることはできないでしょう。

でも、神様は忍耐強い方です。この世の歴史の中で、神様の裁きが来る前に、神様はいつも大いなる忍耐を示されます。人々を裁く前に、神様は必ず悔い改める機会を与えてくださいます。

ノアを通して、神様は差し迫った裁きについて繰り返し警告されました。しかし、誰も悔い改めなかったため、神様は大洪水を送られました。

カナンの民を裁く前に、神様は約400年を待たれました(創世記15:16)。

イスラエルの民が罪を犯したとき、神様は多くの預言者を遣わして警告されました。

そして、今、神様は私たちにこう言われます。

まず第一に、次のことを知っておきなさい。終わりの日に、あざけるものどもがやってきてあざけり、自分たちの欲望に従って生活し、次のように言うでしょ う。

「キリストの来臨の約束はどこにあるのか。先祖たちが眠った時からこのかた、何事も創造の初めからのままではないか。」

こう言い張る彼らは次のことを 見落としています。すなわち、天は古い昔からあり、地は神の言葉によって水から出て、水によってなったのであって、当時の世界は、その水により、洪水に覆われて滅びました。

しかし、今の天と地は、同じみことばによって、火に焼かれるためにとっておかれ、不敬虔な者どものさばきと滅びとの日まで、保たれているのです。

しかし、 愛する人達。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。

主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておれるのではありません。

かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、一人でも滅びる事を望まず、すべての人が悔い改めに進む事を望んでおられるのです。(第二ペテロ3:3-9)

もちろん神様は愛の神です。けれども、神様は正義の神でもあります。

もちろん神様は正義の神です。けれども、神様は忍耐強い神でもあり、すべての人が救われることを望んでおられるのです。

もちろん神様は忍耐強い神です。けれども、その忍耐は永遠に続くものではありません。

だから、イエス様の言葉を心に留めておきましょう。

人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。

洪水前の日々は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。

そして、洪水が来てすべてのものをさらってしまうまで、彼らは分からなかったのです。

人の子が来るのも、そのとおりです。

その時、畑に二人いると、一人は取られ、一人は残されます。二人の女が臼を引いていると、一人は取られ、一人は残されます。

だから、目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつこられるか、知らないからです。(マタイ24:37-42)

コメントを残す