私にとって、日本に移住することは簡単な決断ではありませんでした。
ハワイで育ち、大学を卒業するまでずっとハワイに住んでいたからです。私の家族や友達は皆ハワイにいて、正直に言うと、あそこの生活はとても楽でした。私はずっとハワイで暮らそうと思っていました。
けれども、突然、神様が私を呼ばれました。神様は大きな声で私を呼ばれたわけではありませんし、私は奇跡的なしるしを見たわけでもありません。それでも、神様が私を呼ばれたのです。
その日のことはよく覚えています。
友だちと話しているうちに、なぜか分かりませんが、宣教師になることについて話し始めました。そして私はこう言いました。
「神様は、私が宣教師になることを望んでいないだろう。」
すると友だちがこう答えました。「本当にそう思うのか。神様にもう尋ねたのか。」
私は言いました。「いや、別に。。。」
その夜、神様と話した時、私はこう伝えました。
「くだらないことだと思うけど、友達に宣教師になることについて訊いたほうがいいって言われたんだ。」
それを言った瞬間、大きな声ではなかったけど、答えが返ってきました。「はい。尋ねなさい。」
私の返事をよく覚えています。「ええと。実は、私は尋ねたくありません。宣教師になれと言われたら困るから。」
それから2年ほど、私は悩み続けました。神様は「日本に行きなさい」と言われましたが、私は行きたくありませんでした。
結局、日本に引っ越すことになったのですが、驚いたことに、ハワイにいたときよりも日本の暮らしのほうが楽しかったのです。そして、「やっぱり、神様は何をしているのかよく知っておられる」と思いました。
アブラハムも私と同じように悩んでいたかもしれません。新改訳によれば、アブラハムの父テラが亡くなった後で、神様はアブラハムを呼ばれたようです。
しかし、英訳によれば、テラが死ぬずっと前から神様はアブラハムを呼ばれていたようです。使徒の働き7:2ー3にもそう書かれています。
神様が呼ばれた後、いつアブラハムは神様に従い始めたのでしょうか。それはちょっとはっきりしていません。けれども創世記11:31によれば、アブラハムはカナンに家族を連れて行くようにテラを説得したようです。
ところが、カナンに到着する前に彼らはカナンに行くことを諦めたようです。なぜ彼らは諦めたのでしょうか。それは私には分かりません。
もしかすると、テラはアブラハムに「もう疲れた。私は年をとり過ぎている。ここに泊まろう」と言ったのかもしれません。その後、彼らは自分たちの町を作り、テラが亡くなるまでそこに住んでいました。
けれども、テラが亡くなった後、アブラハムは神様の約束を思い出したようです。そして、神様に従おうと決心し、再びカナンに向けて出発しました。
神様が素晴らしい約束を与えてくださったのに、どうしてアブラハムはそんなに長く待ったのでしょうか。
たぶん、私と同じ理由でしょう。彼の生活は楽だったし、家族や友だちがいたからです。それにアブラハムは親孝行の気持ちを抱いていたかもしれません。
しかし、神様に従うことをためらったことで、アブラハムは神様の祝福を何年も逃してしまいました。
私たちの生活が楽すぎて、神様に従わないことで、どれほど多くの神様の祝福を逃しているのでしょうか。
私たちは良いものに執着し、より優れたものや最も良いものを逃してしまうことがどれほど多いでしょうか。
私にも、神様に従うことが難しいと感じる時があります。楽な人生が好きだからです。信仰によって歩くことが怖い時もあります。
しかし、私が学んだのは、神様が何をしているのかよく知っておられるということです。そして、神様に従えば、神様は私たちを祝福してくださいます。
イエス様はこう言われました。
まことに、あなた方に告げます。神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子供を捨てた者で、だれ一人として、この世にあってその幾倍かを受けない者はなく、後の世で永遠の命を受けない者はありません。(ルカ18:29-30)
