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創世記

祝福を受けるため。祝福を与えるため。

創世記12:1ー3

今日の箇所を読んで興味深いと感じたのは、神様がバベルの人々から取られたものをアブラハムに与えたということです。つまり、神様はアブラハムに大いなる国と大いなる名を与えられました。

やはり、そのようなもの自体は本質的に悪いものではありません。

さらに興味深いのは、神様が「あなたの名は祝福となる…地上のすべての民族は、あなたによって祝福される」と言われたことです。

神様はアブラハムを祝福したいと望まれましたが、それと同時に、アブラハムが周りの人々を祝福することも望んでおられました。

最終的には、アブラハムの子孫であるイエス様を通して、この世界が祝福されました。

しかし、アブラハムが生きている間、神様が望まれたのは、アブラハムが他の人々を祝福することでした。

多くのクリスチャンたちは「神様、私を祝福してください」と祈りますが、どのくらい「神様、私によって他の人々を祝福してください」と祈るでしょうか。

「私の妻にとって、私は祝福となるように。私の子供、教会の人たち、同僚たち、近所の人たちにとっても、私が祝福となるように。」

どれほどそのように祈っているでしょうか。

興味深いのは、私たちが他の人にとって祝福となると、私たち自身も祝福されるということです。

箴言11:25にはこう書かれています。

おおらかな人は肥え、人を潤す者は自分も潤される。

英語の翻訳ではこう書かれています。

人をリフレッシュする者は自分がリフレッシュされる。

神様、時々自己中心になることは簡単です。そして、いつも自分の願いだけのために祈ってしまいます。しかし、どうか私を変えてください。

今日は私自身を祝福してくださるように祈るのではなく、むしろ私が周りの人々にとって祝福となるように祈ります。

私を通して、人々がリフレッシュされ、励まされるように祈ります。

私の妻、娘、教会の人々、同僚たち、近所の人々にとって、私が祝福となるように祈ります。

彼らが私の中にあなたを見出せますように。私の人生を通して、人々があなたに惹き付けられるようになりますように。

どうか私が自分自身に焦点を当てるのではなく、周りの人々に焦点を当てることができますように。私の心を変えてください。アーメン。

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