ある教会で、ワーシップリーダーはよく「神様は良い方です」と言います。
すると、皆は「いつもその通りです」と答えます。
さらに、リーダーが「いつもそうでしょう?」と言うと、皆は「はい。神様は良い方です」と答えます。
その習慣を批判しているわけではありませんが、皆はその言葉の意味を理解して、心から信じているでしょうか。それとも、人生がうまくいく時だけ信じるのでしょうか。
事実は、その言葉を信じるかどうかによって、私たちのクリスチャンとしての生活は形成されます。良い方向に行くかもしれませんし、悪い方向に行くかもしれません。
ある日、アブラハムは深い苦しみに直面したと思います。なぜなら、神様は「あなたの愛しているひとり子イサクを全焼のいけにえとして、私に捧げなさい。」と言われました。
アブラハムが25年以上もイサクが生まれることを待ち続けたのに、神様は「全焼のいけにえとして捧げなさい」と言われました。
そう聞いた時、何人の人が「神様は良い方です」と言えるでしょうか。
あなたはどうでしょうか。
おそらく、私は全く言えないと思います。
しかし、アブラハムは従いました。それに遅れることなく、迅速に従ったのです。朝早く、アブラハムとイサクは出かけました。
アブラハムはイサクを縛り、祭壇の上に置き、刀を取って、イサクを殺すために手を伸ばしました。そこまでして従いました。すると、神様はアブラハムを止めてくださいました。
どうしてアブラハムはそこまで従えたのでしょうか。それは、アブラハムにとって「神様は良い方」という言葉がただのキャッチフレーズではなかったからです。
アブラハムはその言葉を本当に信じていました。
アブラハムは神様の約束をよく知っていました。神様はイサクを通して国家を作ると約束されました。
アブラハムが信じていたのは、「神様は良い方だから、決して約束を破られるはずがない」ということです。
「もし神様が私に息子を殺しなさいと命じられたとしても、必ずよみがえらせる」と信じました。
神様はアブラハムをがっかりさせられることはありませんでした。(ヘブル11:19)
創世記22章5節のアブラハムの言葉は本当に重要だと思います。下僕たちに話した時、「私たちはあなたのところに戻ってくる」と言いました。
ヘブル語では、さらに強い言葉で「私たちは必ずあなたのところに戻ってくる」と言っています。
アブラハムは神様が良い方であると信じたからこそ、心を尽くして従ったのです。
あなたはどうでしょうか。神様が良い方であることを本当に信じていますか。本当に信じているでしょうか。
それとも、あなたにとって、それはただのキャッチフレーズなのでしょうか。
心から神様が良い方であることを信じるまでは、私たちは神様に従うことをためらってしまいます。
神様の道が最善かどうかを疑ってしまうのです。
そして、心から神様が良い方であることを信じるまでは、決して神様を喜ばせることはできません。
へブル書の著者こう記しました。
信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。(ヘブル書11:6)
