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創世記

神様は良い方です

創世記22章

ある教会で、ワーシップリーダーはよく「神様は良い方です」と言います。

すると、皆は「いつもその通りです」と答えます。

さらに、リーダーが「いつもそうでしょう?」と言うと、皆は「はい。神様は良い方です」と答えます。

その習慣を批判しているわけではありませんが、皆はその言葉の意味を理解して、心から信じているでしょうか。それとも、人生がうまくいく時だけ信じるのでしょうか。

事実は、その言葉を信じるかどうかによって、私たちのクリスチャンとしての生活は形成されます。良い方向に行くかもしれませんし、悪い方向に行くかもしれません。

ある日、アブラハムは深い苦しみに直面したと思います。なぜなら、神様は「あなたの愛しているひとり子イサクを全焼のいけにえとして、私に捧げなさい。」と言われました。

アブラハムが25年以上もイサクが生まれることを待ち続けたのに、神様は「全焼のいけにえとして捧げなさい」と言われました。

そう聞いた時、何人の人が「神様は良い方です」と言えるでしょうか。

あなたはどうでしょうか。

おそらく、私は全く言えないと思います。

しかし、アブラハムは従いました。それに遅れることなく、迅速に従ったのです。朝早く、アブラハムとイサクは出かけました。

アブラハムはイサクを縛り、祭壇の上に置き、刀を取って、イサクを殺すために手を伸ばしました。そこまでして従いました。すると、神様はアブラハムを止めてくださいました。

どうしてアブラハムはそこまで従えたのでしょうか。それは、アブラハムにとって「神様は良い方」という言葉がただのキャッチフレーズではなかったからです。

アブラハムはその言葉を本当に信じていました。

アブラハムは神様の約束をよく知っていました。神様はイサクを通して国家を作ると約束されました。

アブラハムが信じていたのは、「神様は良い方だから、決して約束を破られるはずがない」ということです。

「もし神様が私に息子を殺しなさいと命じられたとしても、必ずよみがえらせる」と信じました。

神様はアブラハムをがっかりさせられることはありませんでした。(ヘブル11:19)

創世記22章5節のアブラハムの言葉は本当に重要だと思います。下僕たちに話した時、「私たちはあなたのところに戻ってくる」と言いました。

ヘブル語では、さらに強い言葉で「私たちは必ずあなたのところに戻ってくる」と言っています。

アブラハムは神様が良い方であると信じたからこそ、心を尽くして従ったのです。

あなたはどうでしょうか。神様が良い方であることを本当に信じていますか。本当に信じているでしょうか。

それとも、あなたにとって、それはただのキャッチフレーズなのでしょうか。

心から神様が良い方であることを信じるまでは、私たちは神様に従うことをためらってしまいます。

神様の道が最善かどうかを疑ってしまうのです。

そして、心から神様が良い方であることを信じるまでは、決して神様を喜ばせることはできません。

へブル書の著者こう記しました。

信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。(ヘブル書11:6)

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