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創世記

振り返らない

創世記24章

日本に引っ越したとき、どれぐらいここにいるか全然分かりませんでした。最初の計画は、二年間ぐらいここに住んでみることでした。

その間に、神戸の教会に行き始めました。そこで、スモールグループのセミナーがありました。そのとき、神戸の牧師が宣教師について話しました。

ある言葉が本当に心に残りました。

それは、「日本に宣教師として来るなら、Bの計画を持ってはいけません。Aの計画だけを持つべきです。」というものでした。

つまり、ずっと日本にとどまることを計画するべきだ、ということです。

「うまくいかないから帰る」という考えを捨ててください、と言われました。

なぜなら、日本で関係を築くのには時間がかかります。そして、日本人がクリスチャンになるために、その関係はとても大切なのです。

その牧師の経験では、多くの人がこう言いました。

「キリスト教に興味があるけど、あなたはどれぐらい日本にいるつもりでしょうか。もし、私がクリスチャンになってから、あなたがアメリカに帰ってしまったら、私はどうすればいいのですか。」

私はその言葉を忘れず、その後、ずっと日本にいることを決めました。

この箇所を読んで、そのことについて考えました。

アブラハムはイサクのために妻を見つけたかったのですが、カナン人と結婚することを望みませんでした。だから、妻を捜すために、アブラハムの親戚の元へしもべを送りました。

しもべは尋ねました。「もし誰もカナンに引っ越したがらないなら、どうしますか。あそこに戻りましょうか。」

けれども、アブラハムは答えました。「絶対に戻らないでください。」

それは聖書に記されたアブラハムの最後の言葉です。

どうしてアブラハムはそんなに断固とした態度をとったのでしょうか。神様が「以前の人生を捨てて、私と新しい人生を始めなさい」と命じられたからです。

そして、アブラハムは、イサクが神様の約束を捨てることを望みませんでした。

それに、神様に従えば、神様が必ずイサクのために妻を備えてくださると信じました。だから出身地に帰る必要はないと思いました。

以前の態度とは全然違いました。

パロの事件やアビメレクの事件、イサクの出産のときは、そんな信念がなくて、失敗しました。

けれども、アブラハムの信仰はやっと成熟しました。神様の計画を信じて前を向きました。振り返ることを拒否しました。

ヘブル書11章にこのように書いてあります。

もし、出てきた故郷の事を思っていたのであれば、帰る機会はあったでしょう。

しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。(15-16節)

神様は私たちがそのように生きることを望んでおられます。

時々クリスチャンの生活は大変になり、私たちが望むようには人生がうまくいかず、振り返って「クリスチャンになる前の人生はもっと楽だった」と考えてしまうのは簡単なことです。

振り返ると、以前の生活に戻ることも簡単です。私の場合、もし私がいつもハワイを思い続けていたら、ホームシックになり、日本での生活をあきらめることも簡単だったでしょう。

しかし、神様は私たちがいつも振り返ることを望んでおられるのではありません。

神様は前を向いて歩んでほしいと願っておられます。

そして、神様が望んでおられるのは、私たちが神様の備えてくださった道をしっかりと歩み続けることです。

一番簡単な道ではないかもしれません。けれども、結局、一番祝福のある道です。

あなたはどう思うかわかりませんが、私はその道を歩みたいです。

ただ捕えようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリストイエスが私を捕えてくださったのです。

兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。

すなわち、後ろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリストイエスにおいて上に召してくださる神の栄冠をを得るために、目標をめざして一心に走っているのです。(ピリピ3:12-14)

2 replies on “振り返らない”

異国の地でホームシックになっていたので、読んでとても励みになりました。そうですよね。

ありがとうございます。

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