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創世記

でも、フェアじゃない

創世記26:12-33

私は大阪に住んでいた時、デビッドという人と同じ寮で暮らしていました。

私はデビッドに本当にイライラさせられました。あまり仲が良くありませんでした。私が一番イライラしたのは、彼が約束を守らなかったことです。

つまり、一緒に暮らし始めた時、私たちは交代でトイレとお風呂を掃除し、日常用品を買うことに同意しました。私は約束を守りましたが、彼は全然守りませんでした。

時々私は丁寧に頼みましたが、イライラした時には言い方が荒くなってしまいました。でも、丁寧に頼んでも荒く頼んでも、何も変わりませんでした。

トイレットペーパーがなくなった時、私は自分の部屋からティッシュペーパーを持ってきて、彼がトイレットペーパーを買ってくるのを待っていました。

普通は2~3日間かかりましたが、その間、彼はポケットティッシュをトイレに置きました。それを見ると、私はすぐに取ってしまいました。

はい、分かっています。私も悪かったです。でも、本当にイライラしました。

私の心にいつもぐるぐる回っている思いは「これはフェアじゃない」ということでした。

「どうして、いつも私がお風呂とトイレを掃除しなければならないのだろうか。どうして、いつも私がトイレットペーパーとティッシュペーパーを買わなければならないのだろうか。」と考えていました。

私は正しかったです。でも、私は悪かったのです。もちろん、それはフェアではありませんでしたが、その問題を解決する方法は良くありませんでした。

イサクは私よりも忍耐強かったのです。

ペリシテに住んでいた時、ペリシテ人はイサクを妬んで、アブラハムが掘った井戸に土を詰めてしまいました。

イサクが新しい井戸を掘ると、ペリシテ人は「この水は私たちの物だ。ここを出て行きなさい。」と言いました。

イサクが他の場所に移り、新しい井戸を掘った時、彼らはまた同じことをしました。

私だったら、きっと怒っていたと思います。私はこう言ったでしょう。

「これはフェアじゃない。私はこの井戸を掘ったのに。どうしてこのペリシテ人がこの井戸を取って使う権利があるのか。どうして私はまた新しい井戸を掘らなくてはならないのか。水が必要なら、彼らが自分の井戸を掘るべきだ。」

でも、イサクは私とは違いました。

文句を言わずに、井戸を掘り続けたのです。結局、ペリシテ人はイサクをもう困らせることはありませんでした。

そして後に、ペリシテ人との平和条約を結ぶことができました。

私は普通に忍耐強いですが、状況がフェアではないと思うと、すぐに怒ってしまいます。

でも、神様が命じられたのは、「あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。」ということです。(ローマ12:18)

そのためには、私たちは人をありのままで受け入れなければなりません。

家事に関して、私はデビッドを頼ることができませんでした。彼が家事をまったくしなかったからです。私はデビッドを変える力がなかったので、彼をありのままで受け入れるしかありませんでした。

デビッドを変えようとしましたが、結局うまくいきませんでした。

人は変わりたいと思えば変わるかもしれませんが、私たちが他人を変えることはできません。だから、不公平な状況に直面することも多いかもしれません。

でも、相手を受け入れないと、相手との平和を失うだけでなく、自分の心の中の平和も失います。

誰かが私たちを怒らせた時、何も言わない方がいいでしょうか?とんでもありません。

一度、またはもう一度何かを言うべきです。でも、その後は、その人を許しましょう。

相手が変わらなくても、受け入れましょう。なぜなら、イエスキリストは私たちを受け入れてくださったからです。パウロはこう言いました。

キリストが神の栄光のために、私たちを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに受け入れなさい。(ローマ15:7)

パウロは教会の関係について語りました。

もし私たちが教会でも、仕事でも、学校でも、家庭でも、互いに受け入れるのなら、私たちの関係はどれほど良くなるのでしょうか。

そして、どれほど神様に栄光をおささげすることができるのでしょうか。

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