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創世記

私は神、私の神

創世記33:18-20

カナンからハランへ向かう間に、ヤコブの神様との関係は大きく成長しました。

カナンを離れるとき、ヤコブはアブラハムとイサクを通して神様について聞いていましたが、神様との個人的な関係はまだ築かれていませんでした。

そしてベテルで初めて神様に出会いましたが、完全に神様に降伏することはありませんでした。

神様と格闘した際、ヤコブはまだ神様を「私の父アブラハムの神、私の父イサクの神」と呼び、自分自身の神として認めることはなかったのです。(創世記32:9)

しかし、神様が忠実な神として現れ、ヤコブをカナンへ無事に導かれた後、ヤコブは祭壇を築きました。そして、その祭壇を「エル・エロへ・イスラエル」と名付けました。

この名前の意味は、「神様はイスラエルの神様です。」

時々私は忘れてしまうことがありますが、その時点ではイスラエルという国はまだ存在していませんでした。むしろ、神様がヤコブに「イスラエル」という名を与えられたのです。

そのため、ヤコブの言葉は「神様はイスラエルという国の神」という意味ではありませんでした。ヤコブが言ったのは、「神様は私の神です」ということだったのです。

それ以前のヤコブは、「私は神」という態度を持っていました。

神様に仕えるために生きるのではなく、自分自身に仕えるために生きていました。

神様に信頼せず、神様のタイミングを待つこともありませんでした。むしろ、他の人を傷つけてでも自分の道を進んでいたのです。

しかし、ついにヤコブは「神様、あなたは私の神です」と言いました。

そして、その瞬間から彼の人生は大きく変わりました。

ただし、彼が完全に失敗しなくなったわけではありません。彼はまだ恐れや疑いと戦い続けていました。

それでも、ついに神様がヤコブの心の王座に座るようになったのです。

もし、最初からそのような態度だったとしたら、ヤコブの人生はどれほど違っていたでしょうか。

さて、あなたはどうでしょうか。

「私は神」という態度をとっているでしょうか。

まだ自分の道を選び続けていますか。

神様に信頼せず、自分自身を頼りに生きていますか。

他の人を傷つけてでも、自分を喜ばせるために生きているでしょうか。

それとも、「神様は私の神です」と言う態度をとっていますか。

私はある昔の賛美歌が特に心に残っています。

イエス様に全てを明け渡します。
自由に全てを捧げ、
私はいつまでもイエス様に信頼します。
イエス様の御前で毎日生きます。

イエス様に全てを明け渡します。
私の全てがあなたのものとなりますように。
聖霊の臨在を感じることができますように。
あなたは私の神です。

イエス様に全てを明け渡します。
私の人生をあなたに捧げます。
あなたの愛と力で私を満たしてください。
あなたの祝福が私に豊かに注がれますように。

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