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創世記

でも、私は怒る権利がある。

創世記34章

聖書には、多くの厳しい物語があります。

それに対して、多くの人が「どうしてこんなことが書かれているのだろう」と疑問を抱きます。

その理由は、これらの物語が示しているのは、人が神様から離れ、自分の道を選び続けると、人間の状態がどれほど悪化するかということなのです。

特に創世記34章にはひどい話が記されています。ヤコブの娘ディナが、シェケムという男にレイプされました。

その後、ヤコブの息子たちは復讐をしました。彼らはシェケムとその都市の男たちを騙して殺し、彼らの全財産を奪い、おさな子、妻たち、家の全てのものを略奪し、捕虜にしました。

ヤコブが息子たちにその行動について問うたとき、彼らは全く後悔していませんでした。むしろ、「私たちの妹が遊女のように扱われてもいいというのですか」と答えました。

ヤコブの息子たちの怒りは、ある程度まで理解できるものです。シェケムはディナを愛していたとしても、彼女をレイプする権利はありませんでした。息子たちが怒るのは当然であり、正義を要求する権利もありました。

けれども、おそらくその都市では正義を実現することは難しかったでしょう。なぜならば、シェケムはその都市の指導者の息子だったからです。

それでも、彼らの行動は間違っていました。怒りを表す方法は全く正しいものではありませんでした。その行動は正義とは言えず、ただの復讐でした。

私たちは怒る権利があったとしても、復讐をする権利はありません。

ヤコブはこう言いました。

愛する兄弟たち。あなた方はそのことを知っているのです。しかし、誰でも、聞くには早く、語るには遅く、怒るには遅いようにしなさい。人の怒りは、神の義を実現するものではありません。(ヤコブ1:19ー20)

人の怒りとはどのようなものですか。

1. 人の怒りは復讐に向かいます。

ヤコブの息子たちのように、自分のために復讐をします。時には行動で、時には言葉で復讐をします。

例えば、私たちは言葉で人を攻撃します。「あなたはひどい」「信じられない」「私は許せない」と言うのです。それは、相手に罪悪感を抱かせたいからです。

2. 人の怒りは壁を壊すどころか、むしろ壁を築きます。

足を踏み鳴らしたり、ドアをバタンと閉めたり、目つきが短剣のように鋭くなったりします。部屋に入ると、室温が10度ぐらい下がったように感じます。

それでも、相手が「どうしたの?」と尋ねれば、あなたは「何でもない」と答えます。けれども、その後も相手を睨みつけ、再び足を踏み鳴らして立ち去ります。

3. 人の怒りは内側でくすぶり、化膿します。

もし怒りをすぐに解決しなければ、それは苦々しさや憎しみに変わるかもしれません。

あなたはこう言うかもしれません。「でも、ブルースは状況を知らない。本当に傷つけられたし、私は怒る権利がある。」

確かにその通りかもしれません。

しかし、その怒りは神様が望むあなたの人生を生み出すことはありません。それどころか、あなたの人間関係を壊し、心の中にがんのような苦しみを生じさせ、人生を惨めにしてしまいます。

相手を傷つけていると思うかもしれませんが、実際には自分自身を傷つけているのです。この怒りを手放さないと、あなた自身の人生が破壊されてしまいます。

けれども、イエス様は違いました。

[ののしられても、ののしり返せず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。」(第一ペテロ2:23)

だから、私たちは怒ったとき、どうすればよいのでしょうか。

パウロはこう言いました。

愛する人達。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。

それは、こう書いてあるからです。「復讐は私のすることである。私が報いをする、と主は 言われる。」

もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むこと になるのです。

悪に負けてはいけません。かえって、善を持って悪に打ち勝ちなさい。(ローマ12:19ー21)

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