私の妻が妊娠したとき、娘の名前についてよく考えました。たくさんの候補を挙げましたが、私は「エミリ」が気に入っていました。
けれども、娘が生まれる前に、私の従姉妹が自分の娘に「エミリ」と名付けてしまいました。
そこで私たちは「結実」という名前に決めました。
「実を結ぶ」という意味で、ガラテヤ書5:22–23に由来しています。
私たちは結実が御霊の実を結ぶことを願っています。
名前は大切なものです。名前には子供に対する両親の希望が反映されています。
けれども、時々名前には否定的な意味が含まれることもあります。ヤコブとヤコブの息子ベニヤミンの場合もそうでした。
ヤコブの名前は「かかとをつかむ人」という意味があります。
それは、ヤコブが生まれるとき、双子の兄エサウのかかとをつかんで生まれてきたことに由来します。
まるでただ乗りをするような意味合いでした。
そして、もう一つの意味は「詐欺師」です。
ヤコブの人生はその名前を反映していました。
ベニヤミンはヤコブとラケルの末っ子でした。ベニヤミンが生まれたとき、ラケルはひどい陣痛に苦しみ、息を引き取りました。
ラケルは死ぬ直前に赤ちゃんに「ベン・オニ」という名前を付けました。その名前の意味は「私の悲しみの子」です。
しかし、ヤコブはその名前を「ベンヤミン」に変えました。その意味は「私の右手の子」です。
ヤコブは息子を「私の悲しみの子」としてではなく、敬意を持って見ることを選びました。
愛するラケルを失ったにもかかわらず、人の右隣に座ることが栄誉であるように、息子を尊敬しました。
神様はヤコブの名前を「詐欺師」から「神様と格闘する者」に変えられました。
創世記32章ではその意味が示されています。
けれども、35章では神様が新たな意味を付与されたのかもしれません。それは「神様と共にいる王子」です。
神様はこう言われました。
一つの国民、諸国の民つどいが、あなたから出て、お王たちがあなたの腰から出る。(創世記35:11)
こういうわけで、神様はヤコブを二度イスラエルと名付けられたのかもしれません。
私たちは何を学ぶことができるでしょうか。
私たちがクリスチャンになったとき、私たちはもはや過去に縛られません。私たちの失敗に縛られることもありません。
たとえ大失敗したとしても、神様は私たちの過去を重要視されません。むしろ、神様は私たちの将来に目を向け、良い計画を持っておられます。
さらに、私たちはもはや両親の感情や期待に縛られることもありません。他の人の感情や期待にも縛られません。
私たちの両親、先生、あるいは周りの人々が私たちを「馬鹿」と呼んだり、「価値のない人」と名付けたりしたことがあるかもしれません。
彼らが私たちを見てがっかりしたこともあるかもしれません。
しかし、神様はこう言われます。
「私の目には、あなたは高価で尊い。私はあなたを愛している。」(イサヤ書43:4)
神様は私たちを愛しているがゆえに、イエス様を私たちの代わりに送られました。つまり、イエス様は私たちの罪のために死んでくださいました。
あなたがどのように名付けられていても、またあなたが自分の名前を好きかどうかは関係ありません。神様には、あなたのために新しい名前があります。
それは過去に縛られない名前です。他の人の感情や期待に縛られない名前です。
むしろ、神様のあなたに対する計画を反映した名前です。神様があなたをどのように見ているかを映し出す名前です。
イエス様はこう言われました。
私は勝利を得るものに。。。白い石を与える。その石には、それを受ける者のほかは誰も知らない、新しい名が書かれている。」(黙示録2:17)
