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創世記

いつ黙ったほうがいいのか?

創世記37:1-10

ヨセフが兄たちに夢を話したとき、彼はどんな態度をとったのでしょうか。

うぬぼれていたのでしょうか。

それとも、本当に兄たちの反応を予想できなかったのでしょうか。

どのように伝えたのか、考えてみましょう。

「私の夢を聞いてください。夢の中で、あなたの束が私の束の回りに来て、頭を下げました。

そして、もう一つの夢を見ました。太陽と月と十一の星が私を伏し拝んでいたのです。

すごいでしょう。どういう意味なのでしょうか。」という感じではないでしょうか。

あるいは、こうだったのではないでしょうか。

「おい、私の夢を聞いてください。いつか、あなたたちは私の前に頭を下げるのです。」

真相はわかりませんが、兄たちも父も本当に怒り、ヨセフは困難に直面することになりました。

この話から私たちは何を学ぶことができるのでしょうか。

黙っているほうが良い時があります。

たとえ神様から聞いたと思っていても、沈黙を守るほうが良い場合があるのです。

私が大学生のころ、教会で友人が好きだった女性にこう言いました。

「神様は私があなたと結婚すると言いました。」

彼女は怒ってすぐにこう返しました。

「神様は私にはそう言いませんでした!」

結局、その二人は結婚しませんでした。けれども、その日、友人は自分の言葉を気をつける重要性を学びました。

箴言には、言葉を慎重に扱うことについて多くの教えがあります。例えば、

軽率に話して人を剣で刺すようなものがいる。しかし知恵のある人の舌は人をいやす。(箴言12:18)

ヨセフはその言葉に従っていたら良かったのかもしれません。

ヤコブが兄たちよりもヨセフを愛していたため、兄たちは妬んでいました。

けれども、ヨセフの言葉は兄たちの嫉妬を和らげるどころか、むしろその心を剣のように深く突き刺しました。

兄たちはさらに怒りを募らせました。なぜなら、ヨセフが自分の立場を誇示しているように見えたからです。

私たちはどれほど、自分の言葉で関係を癒すどころか、むしろ人をさらに傷つけることがあるでしょうか。

特にケンカの際、人を傷つける言葉を言うのは簡単です。

「あなたは馬鹿だ!」

「信じられない!」

「どうしてそんな馬鹿なことをしたの?」

「あなたは本当にわがままだ!」

「許せない!」など。

箴言15:1には、「柔らかな答えは怒りを静める。しかし激しい言葉は怒りを引き起こす」と書かれています。

あなたの口から出る言葉は、関係を癒す言葉でしょうか。それとも、関係を壊す言葉でしょうか。

ときに、特に怒りを感じているとき、黙るのは難しいものです。

けれども、他の種類の言葉も関係を破壊することがあります。それがゴシップです。

箴言16:28には、「ねじれ者は争いを巻き起こし、陰口をたたく者は親しい友をか離れさせる。」と書かれています。

時には、ジョークでさえも私たちの言葉が人を傷つけることがあります。日本人の場合についてはわかりませんが、アメリカ人はよくあります。

あるとき、私もジョークのつもりで言った言葉で友達を傷つけてしまったことがありました。わざとではありませんでしたが、傷つけてしまったのです。

それ以来、私は気を付けるようにしています。

私が学んだことは、「人をジョークで侮辱するよりも、人を励ますほうが良い」ということです。

ジョークで人を侮辱すれば、傷つけてしまうかもしれません。

その一方、人の励ましの言葉は人を建て上げます。

あなたの口から出る言葉は何なのでしょうか。

それは祝福でしょうか、それとも呪いでしょうか。

それは傷でしょうか、それとも癒しなのでしょうか。

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