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創世記

無力な過去、実り多い未来

創世記41:50-52

ヨセフは13年間でさまざまな困難な経験をしました。

ヨセフの兄たちは彼を奴隷として売りました。

そして、パロの廷臣の管理人となりましたが、レイプの濡れ衣を着せられて監獄に入れられてしまいました。

ところが、突然パロはヨセフにエジプト全土を支配させました。パロだけがヨセフよりも権威を持っていました。

ヨセフはパロの娘と結婚し、息子が二人生まれました。

長男をマナセと名付けました。その名前は「忘れる」という意味があります。なぜならば、ヨセフは「神が私のすべての労苦と私の父の全家とを忘れさせた」と言ったからです。

次男をエフライムと名付けました。その名前は「実り多い」という意味があります。ヨセフは「神が私の苦しみの地で私を実り多い者とされた」と言ったからです。

ヨセフは本当に過去を忘れたのでしょうか。

いいえ、違うと思います。けれども、神様からの祝福について考えたとき、ヨセフの過去はもはや無力となりました。ヨセフに影響を与えることはできなかったのです。

ヨセフは「私を実りを結んだ者とされた」と言うだけではなく、むしろ「私を実り多い者とされた」と述べました。

ローマ書8章で、パウロはこう書いています。

今のときのいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。(18節)

どの栄光について書かれているのでしょうか。それは、キリストがもう一度この世界に戻るときに、私たちに啓示されようとしている栄光です。

他の箇所では、このように記されています。

しかし、キリストが現れたなら、私たちはキリストに似たものとなることが分かっています。なぜならその時、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。(第一ヨハネ3:2)

その時、

[神は]彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。(黙示録21:4)

私たちは、自分の悪い思い出を完全に忘れることができるでしょうか。その可能性はあるかもしれません。

しかし、別の可能性として、この世界にいる間、神が編んだ命のタペストリーの一部として、その悪い思い出を思い返すことがあるかもしれません。

そして、そのタペストリー全体を見たとき、それは美しいものとして見えるのです。

ところが、ヨセフのように、私たちもこの世界でその栄光を少し見ることができるのではないでしょうか。

神様が私たちに触れてくださるので、たとえこの世界で多くの苦しみや悲しみを経験したとしても、平和と喜び、そして満足を見つけることができます。

そのため、どのような苦しみがあっても、私たちは希望を持つことができます。この世界での希望、そして天国での希望です。

それでも、今あなたが苦しんでいるなら、どうすればよいのでしょうか。

あなたは一人ではないことを思い出してください。

ローマ書8:26―27には、このように記されています。

御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。

私たちは、どのように祈ったらよいか分からないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。

人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神の御心に従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。

ある時、私たちの苦しみがあまりにも多く、どう祈るべきか、また何のために祈るべきか、よく分からないことがあります。

けれども、そのとき、聖霊様が私たちのために祈り、神様の御心に従って私たちのためにとりなしをしてくださいます。だからこそ、パウロはこう言うことができたのです。

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神が全ての事を働かせて益としてくださる事を、私たちは知っています。(28節)

聖霊様が私たちのために祈ってくださるからこそ、神様が私たちのために全てを働かせて益としてくださることを確信することができます。

ヨセフの試練のときにも、聖霊様はヨセフのために祈っておられました。

そして、私は確信しています。今、聖霊様はあなたのためにも祈っておられます。

だからこそ、どんなに大変な状態にあっても、神様が私たちを救い出してくださることを知ることができます。

そして、私たちは振り返ってヨセフのようにこう言うことができるのです。「私の過去には私を支配する力がありません。今、私は実り多い者とされた。」

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