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創世記

この世から離れても、この世の人に触れること

創世記46:28ー47:12

創世記には、とても興味深い場面があります。年老いたヤコブが、強大な国の最も力ある者であるパロの前に立っていました。

もしあなたがそのような状況にいたら、どうするでしょうか。例えば、アメリカ大統領の前に立ち、たくさんのカメラマンとシークレットサービスに囲まれていたら、何を言うでしょうか。

かつての詐欺師ヤコブは、試練の年月によって疲れ果てていました。若い頃はうぬぼれがちでしたが、年老いた今は謙虚になりました。

では、そのヤコブは何をしたでしょうか。

彼はパロを祝福しました。それも一度だけではなく、二度祝福しました。

パロはその時、何を感じたのでしょうか。ヤコブを見下したでしょうか。

彼は、「どうして、この羊飼いが、この国の最も力のある者に祝福しようとしているのだろう」と思ったのでしょうか。

それとも、その祝福に込められた重みを感じたでしょうか。もしかすると、生ける神がこのヤコブに触れられた結果、今この場所に神の臨在を感じられるのではないか、と思ったかもしれません。

パロがどう感じたのか、正確には分かりません。

しかし、以前にもお伝えしたように、私たちは周りの人々に触れるべきです。

彼らが私たちを見た時、私たちの中にキリストを見るはずです。また、私たちが彼らに触れた時、彼らはキリストの手を感じるはずです。

けれども、この世の人々に触れていかなければならない一方で、私たちはこの世から離れるべきでもあります。

つまり、この世界にキリストのための影響を与えるべきですが、私たち自身がこの世界から影響を受けないよう注意しなければなりません。

ヨセフの家族がエジプトに引っ越したとき、ヨセフはそのことを考えていたのではないでしょうか。ヨセフはエジプトに影響を与えましたが、エジプト人は神様に仕える者ではありませんでした。

アブラハムの家族がカナンの地に入る前、周囲の人々の影響を受けて他の神々に仕えるようになってしまったように、ヨセフもまた、エジプト人が自分の家族に悪い影響を与えるかもしれないと考えていたのかもしれません。

そこでヨセフは父と兄たちにこう言いました。

「私たちは羊飼いだと言いなさい。なぜならば、エジプト人は羊飼いを見下すからです。それによって、エジプト人と少し距離を置くことができます。」

この世から離れつつ、世の人々に触れることは、バランスを取るのが非常に難しいことです。

もし完全に離れ、クリスチャンだけと過ごすなら、イエス様を知らない人々に影響を与える機会が失われてしまいます。

けれども、もし神様を知らない人々だけと過ごすなら、彼らの価値観や考え方から悪影響を受ける可能性があります。

どちらの極端も避けるべきです。

私はバランスを崩すと、たいていクリスチャンだけと時間を過ごしすぎる傾向があります。というのも、クリスチャンと過ごすことは安心でき、楽だからです。私たちが同じ価値観や考え方を共有しているからです。

しかし、神様は私たちがこの世の人々を祝福することを望んでおられます。そのためには、神様をまだ知らない人々と時間を過ごさなければ、それを実現することはできません。

あなたの場合はどうでしょうか。

バランスは取れていますか。

それとも、バランスを失っているでしょうか。

クリスチャンとの時間が多すぎて、この世の人々に触れる機会を失っていないでしょうか。

それとも、この世の人々に触れすぎて、彼らの価値観や考え方に影響を受けていないでしょうか。

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