創世記において「祝福」という言葉は非常に重要です。この言葉は60回も記されており、通常は父親が息子たちを祝福するか、神様が人を祝福する場面で登場します。
ですから、創世記の最後に長い祝福の記述があるのは、とてもふさわしいことだと言えるでしょう。この場面では、ヤコブが息子たちを祝福しています。
けれども、この箇所で特に目を引くのは、ヤコブが与えなかった祝福です。ヤコブはルベンとシメオン、そしてレビを祝福しませんでした。なぜでしょうか。
ルベンは父のそばめ(身の回りの世話をする召使い)と関係を持ったことで、祝福を失いました。
ラケルが子どもを持てなかった時、彼女は自分のはしため(身分の低い女性)をヤコブに与え、子どもを持つ手段としました。
皮肉なことに、ルベンは長男としての自分の立場を強めようとして、このそばめと関係を持ったのです。
この習慣は現代では理解し難いものですが、その時代の習慣の一つだったのでしょう。実際、ダビデの息子アドニヤもソロモンの立場を奪おうとし、そのようなことを試みました(1列王記2:13ー25)。
けれども、ヤコブが生きている間にこのことをしたために、ルベンは祝福を失ったのです。
シメオンとレビは、シェケムの事件によって祝福を失いました。
シェケムがヤコブの娘をレイプした際、シメオンとレビは復讐のため、その都市の全ての男性を殺害しました。
このため、ヤコブは「彼らの仲間に加わらない。彼らの集いに連ならない」と言い、二人を祝福しなかったのです。
これらのことから何を学べるでしょうか。
神様から祝福を受けることについて、私たちの行動は非常に重要です。
私たちの救いは神様の恵みによって与えられますが、もし神様からの祝福を受けたいのであれば、私たちの行動が神様にとって大切なのです。
では、私たちはどのように行動すべきなのでしょうか。
1.神様の祝福を受けたいなら、神様の道を歩まなくてはなりません。自分の道を進んではいけません。
ルベンは必死に祝福を受けたいと思いながらも、神様の道を歩まず、自分の道を選びました。その結果、求めていた祝福を失ってしまいました。
同じように、多くのカップルは神様の道を歩まず、自分の道を選んでしまうために、結婚がうまくいかなくなってしまうことがあります。
多くの人は神様の道を歩まず、自分の道を選ぶため、人間関係が壊れてしまいます。
両親たちが神様の道を歩まず、自分の道を選ぶことで、子育ては非常に困難になります。
また、多くの人々が神様の道を歩まず、自分の道を選んだ結果、経済的な問題を抱えることになります。
どれほど私たちが神様の祝福を祈り求めたとしても、神様の道を歩まないのであれば、それは無駄になります。
神様の御言葉に従うことを拒否したまま、神様の祝福を祈ることはできません。私たちは神様に従わなくてはならないのです。
2.私たちが罪の生活を続けるならば、神様は私たちとの交わりを拒否されます。そして、神様は祝福の手を私たちから取り除かれるのです。
ヤコブはこう語りました。
彼らの仲間に加わるな。わが心よ。彼らの集いに連なるな。彼らは怒りにまかせて人を殺し、ほしいままに牛の足の筋を切ったから。(創世記49:5ー6)
私の意見ですが、ヤコブがシメオンとレビを祝福しなかった理由の一つは、彼らが全く悔い改めなかったことだと思います。それどころか、彼らは自分たちの行動を正当化しようとしました(創世記34:31)。
私たちは自分の罪を正当化して悔い改めないまま、神様の祝福を期待することはできません。
神様は聖なる方です。ですから、もしあなたが自分の罪を後悔せず、それを続けるならば、神様はあなたとの交わりを拒まれるのです。
ここで明確にしておきたいことがあります。もしあなたが罪と戦っているならば、私はそれでも神様があなたを祝福しないと言っているわけではありません。私たちは皆、何らかの罪と戦っています。
しかし、もしあなたが罪を犯した後で全く後悔しないのであれば、神様はあなたを祝福されないのです。
では、私たちは救いさえも失ってしまうのでしょうか。神様は私たちを見捨てられるのでしょうか。
いいえ、そうではありません。
とはいえ、神様は祝福の手を取り除き、サタンがあなたを攻撃することを許されるのです。
それはなぜでしょうか。
それは神様があなたを嫌われているからではありません。そうではなく、神様があなたを祝福したいからです。
第一コリント5:5で、パウロはこの原則を教えています。ある人がひどい罪を犯しながらも全く後悔しなかったため、パウロはこう言いました。
このような者をサタンに引き渡しました。それは彼の肉が滅ぼされるためですが、それによって彼の霊が主の日に救われるためです。
神様はあなたを祝福したいと望んでおられます。それは、あなたを通して他の人をも祝福したいと望んでおられるからです。
しかし、私たちが自分の道を行き続けるならば、その祝福を受けることはできません。
さて、あなた自身はどうでしょうか。
あなたは神様があなたを祝福できる状態にありますか。
神様に従っていますか。
神様の前で、あなたの心を清く保っていますか。
