ヨセフの人生には涙を流す理由が数多くありました。
エジプトの奴隷として売られた時。
レイプの濡れ衣を着せられて監獄に入れられた時。
兄たちが初めてエジプトに来て、ヨセフが過去に直面した時。
久しぶりにベニヤミンに会った時、
そして、ヤコブに会った時。
そして、ヤコブが亡くなった時。
とはいえ、ヨセフにとって最も心が辛かった涙は、その後に流れたのかもしれません。
ヤコブが亡くなった後、ヨセフの兄たちは彼にメッセージを送りました。
「何年も前、私たちはあなたに対して罪を犯しました。けれども、亡くなる前に、お父さんは『兄たちを許してください』と言っていました」と。
ヨセフは、その言葉を聞いて泣きました。
なぜでしょうか?
おそらく、ヨセフが何年も前に兄たちを許していたにもかかわらず、彼らがまだ罪悪感を抱き、ヨセフとの間に壁を感じていたからです。
そして、ヨセフが兄たちを呼ぶと、彼らはこう言いました。
「私たちはあなたの奴隷です。」
しかし、ヨセフは彼らを床から起こしてこう言いました。
「そんなことをしなくてもいいのです。どうしてそのように振る舞うのですか。私は、もうすでにあなたたちを許しました。私は神様ではないし、あなたの裁判官でもありません。私はあなたたちの弟です。
だから、立ってください。恐れないでください。私はお兄さんたちの面倒を見ます。」
私たちが罪悪感を抱いている時、神様はヨセフのように涙を流されるのでしょうか。
私たちが神様を恐れ、神様に近づくことをためらい、神様が私たちを罰すると思っている時、神様は泣かれるのでしょうか。
神様が私たちをすでに赦し、養子として受け入れてくださったのに、私たちがまだ恐れて神様の足元にひれ伏している時、神様は泣かれるのでしょうか。
ヨセフとは異なり、神様は私たちの裁判官であられます。しかし、イエス様の十字架の働きによって、神様は私たちを裁かれません。
むしろ、神様は私たちを起こして立たせてこう言われます。
「どうしてそんなに恐れているのですか。私はもうあなたを赦しました。私のひとり子はあなたの罪のためにすでに代価を払いました。私はあなたを裁かない。あなたは私の子供です。
だから、立って、恐れないでください。私はあなたを世話します。」
あなたの過去のことで、まだ罪悪感を感じているでしょうか。
罪悪感によって神様に近づくことをためらっているでしょうか。
ヨセフが兄たちを許したように、神様はあなたを赦してくださいました。そして、神様はあなたを受け入れてくださいます。
だからこそ、恐れずに神様に近づきましょう。
こういう訳ですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所に入ることができるのです。
イエスはご自身の肉体という垂れ幕を通して、私達のためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです。
また、私達には神の家をつかさどる、この偉大な祭司があります。
そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心を清められ、体を清い水で洗われたのですから、真ったき信仰を持って、真心から神に近づこうではありませんか。(ヘブル10:19ー22)
