「神様はどこでしょうか。」
辛い時に、多くの人々はそう聞きます。
「神様!苦しんでいますよ。見ておられますか?聞いておられますか?あなたはどこですか?」
エジプトで、イスラエル人はそのように感じていたと思います。2章の最後に、次のように書かれています。
イスラエル人は労役にうめき、わめいた。(出エジプト記2:23節)
私の大学の宗教の授業で、教授はユダヤ人の大虐殺について話しました。教授が言われたのは、牢屋で、あるユダヤ人が壁に「神様はどこですか」と書いていたということです。
「神様はどこですか。私たちが苦しむ時に、どこにおられるのでしょうか。どうして、助けてくださらないのでしょうか。」
何年か前、私の妻の友人が自ら命を絶ちました。その時、妻はこう問いかけました。
「神様はどこにおられたのでしょうか。どうして、神様は彼を止めてくださらなかったのでしょうか。」
それは難しい疑問です。私は答えられません。私が言えるのは聖書の教えだけです。
イスラエル人について、次のように書かれています。
彼らの労役の叫びは神に届いた。。。
神はイスラエル人をご覧になった。神は御心を留められた。 (出エジプト記2:23,25)
そして、神様はモーセにこう言われました。
私は、エジプトに居る私の民の悩みを確かに見、追い使う者の前の彼の叫びを聞いた。
私は彼らの痛みを知っている。
私は下ってきたのは、彼らをエジプトの手から救い出す。。。ためだ。(出エジプト記3:7-8)
神様は私たちにも同じことを言われます。
「あなたの叫び声を聞いておられます。あなたの惨めさを見ておられます。だから、私はあなたを救い出すために来ました。」
この世界に私たちが見える悪は罪の結果です。
エジプト人の罪によって、イスラエル人は苦しみました。そして、ドイツ人の罪によって、ユダヤ人は苦しみました。
この世界の多くの苦しみは、人が人を傷つけることから来ます。また、多くの人が神様に背を向けて自分の道を行くから、苦しみが来ます。だから、多くの人は苦しんで叫びます。
しかし、神様は私たちの叫び声を聞いてくださいました。私たちの惨めさを見てくださいました。だから、人間としてこの世界に来られ、この罪深い世を癒すために、十字架で死なれました。
神様はどこですか。
神様はここにおられます。それだけではなくて、神様に信頼してイエス様を救い主として受け入れた人の中に住んでおられます。
だから、神様はモーセに言われたように、私たちにも言われます。
「今、行け。私はあなたをパロのもとに遣わそう。私の民イスラエル人をエジプトから連れ出せ。」(出エジプト記3:10)
神様は奴隷の人生からイスラエル人を救い出すためにモーセをエジプトに遣わされました。そのように、神様は罪の鎖から人々を解放するために私たちを遣わされます。
だから、私たちは苦しんでいる人を見て、「神様はどこですか」と聞いたら、答えを忘れないでください。
神様はあなたの中に住んでおられます。だから、あなたは何をしますか。
あなたは、その苦しみを見るけど、何もしないでしょうか。
それとも、その人々にとって、あなたは神様の手と足になるでしょうか。
私たちは苦しむときに、神様があなたの中に住んでおられることを覚えておきましょう。あなたを捨てていません。
神様が約束されたのは、「私は決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない」ということです。(ヘブル13:5)
でも、神様が教会の兄弟たちと姉妹たちの中に住んでおられることを覚えておきましょう。あなたが苦しむときに、彼らがあなたに触れるための、神様の手と足と耳と口です。だから、彼らから逃げないようにしましょう。
私たちは苦しむときに、他の人から隠れることが簡単です。そして、一人で泣いて苦しみます。
けれども、それは神様の御心ではありません。
そのような場合のために、神様はその人をあなたの人生に与えてくださったのです。
だから、その兄弟たちと姉妹たちのところに行って、あなたの重荷を置きましょう。彼らの慰めを受けましょう。そして、彼らが苦しむときに、彼らを慰めてあげましょう。
パウロはこう書いていました。
「互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。」
神様はどこですか。
神様は私たちの中に住んでおられます。
だから、この世界に行って、人々にイエス様の愛で触れましょう。
