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出エジプト記

心配している?それとも、言い訳を言っている?

出エジプト記4:1ー17

神様がエジプトからイスラエル人を救い出すためにモーセを呼ばれた時に、モーセは従いたくなかったから、たくさんの言い訳を言いました。

「私は資格がないです。私は取るに足りない人です。それに、あなたは誰ですか?」

神様が答えられた後で、モーセにはもっと言い訳がありました。

「誰も信じてくれないです。」

それは良い言い訳だと思います。なぜなら、以前、誰もモーセのリーダーシップを受け入れていなかったからです。

それに、もし誰かがあなたの将来について「神様からのメッセージがある」と言ったら、あなたはどう思うでしょうか。信じるでしょうか。

だからこそ、神様はモーセにしるしを与えてくださったのです。

「信じてくれないなら、そのしるしを示しなさい。」と命じられました。

それでも、モーセは、まだ言い訳がありました。

私は言葉の人ではありません。以前からそうでしたし、あなたがしもべに語られてからもそうです。私は口が重く舌が重いのです。(出エジプト記4:10節)

ある人が思うのは、モーセはどもったということです。それとも、モーセはスピーチの障害があったと思います。

それが本当かどうか分かりません。ある可能性はモーセが人の前に立ったら、緊張し過ぎたかもしれません。

とにかく、神様はその言い訳を受け入れませんでした。

「モーセ。私はあなたを造った。あなたの長所も短所もすべて知っている。私はあなたの口を造った。だから、行きなさい。私はあなたの口と共にいて、あなたの語るべきことを教えよう。」

だから、モーセはやっと正直に言いました。

「神様。他の人を遣わしてください。」

つまり、「でも。。。行きたくありません。」

その時、神様は怒られました。

「分かった。あなたの兄アロンがあなたを助けるだろう。だが、この使命から逃れることはできない。アロンと共に行き、パロに面と向かいなさい。」

神様があなたに何かを委ねられる時、あなたはどのように応答するでしょうか。

「はい。行きます。」と答えるでしょうか。

それとも、「でも、神様…」と答えるでしょうか。

ある時、私たちは良い理由で心配しています。

けれども、ある時、その理由は言い訳だけです。つまり、私たちは信仰がないから、神様に従いたくないです。

神様がモーセにいろんなしるしを示してくださっても、励ましてくださっても、モーセは信仰を持っていなくて、全然やる気がありませんでした。

どうしてか分かりませんが、多分失敗を恐れていたかもしれません。以前、努力したのに、失敗しました。もう一回失敗してしまうと思ったかもしれないから、エジプトに行きたくなかったのです。

私は彼の気持ちを理解できます。信仰で歩むのは怖いです。私は失敗が大嫌いです。安全に進みたいです。

しかし、私たちのために神様が準備してくださったプランを知るために、私たちは神様に信頼して、その信仰の一歩を踏み出さなければなりません。

良いことに、私たちが一人でしなくていいです。神様は私たちと共に歩んでおられます。

それに、私たちの周りのクリスチャンがいます。アロンはモーセを励まして手伝ったように、周りのクリスチャンが私たちを励まし手伝ってくれるのです。

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