この箇所について書くかどうかちょっと考えていました。少し難しい所ですし、この箇所を読んで、少し驚きました。
モーセがエジプトに向かう途中、突然、神様はモーセを殺そうとされました。どうしてでしょうか。
モーセは神様の命令に従わなかったからです。つまり、息子に割礼を行いませんでした。
そして、神様はそのことを軽く考えておられませんでした。モーセを殺そうと考えられたのです。なぜでしょうか。なぜそんなに大切な事だったのでしょうか。
実は、服従はいつもとても大切なのです。
誘惑が訪れる時、私たちはしばしばこう考えてしまいます。
「これは小さな罪だろう。別に構わないはずだ。神様はそんなに怒られないだろう。」
そして、その思いに引きずられて、私たちは誘惑に敗れてしまいます。
しかし、小さいという罪は全くありません。聖書に書いてあるのは「罪から来る報酬は死です。」ということです。(ローマ6:23)
「大きな罪から来る報酬は死である」とは書かれていません。
「すべての罪から来る報酬は死である」と書かれているのです。
私たちが小さいか大きいかと思うかどうかは関係ありません。
最初の罪、つまり、アダムとエバが禁断の木の実を食べたことについて考えたら、その罪はレイプや殺人ほど悪くないでしょう。
ところが、その罪の結果は死でした。その結果は神様から離れることでした。
その罪が原因で、イエス様は十字架で私たちの罪のために死んでくださったのです。
もし、私の罪が小さいと言ったら、イエス様の死を軽蔑することになります。
もし、罪が小さいことだったら、イエス様が死ぬ必要はなかったのです。しかし、イエス様が十字架で死んでくださらなかったら、私たちは神様から永遠に離れることになります。
モーセが学んだのは、小さい罪などないということです。すべての罪は重大なことです。
多分、神様は「息子に割礼をしなさい」と命じられたのでしょう。アブラハムとの契約の一部だったからです。それでも、モーセは割礼を行いませんでした。
理由は分かりませんが、細かい事だと思ったかもしれません。
あるいは、モーセの妻は割礼が嫌いだったかもしれません。彼女は息子に割礼を行ったとき、あまり嬉しくなかったようです。
とにかく、モーセが神様の命令に従わなかったため、神様はそれを真剣に扱われました。
あなたはどうでしょうか。
モーセのように神様の言葉を無視しますか。
罪を軽く見て、「神様は気にされないだろう」と思うでしょうか。
神様は、どの罪でも無視されないことを覚えておきましょう。すべての罪は重大なことです。
そう思わなければ、「神の御子を踏みつけ、自分を聖なるものとした契約の血を汚れたものとみなし、恵の御霊を侮る」 (へブル10:29)
私たちの人生の中の罪を無視することは、決して小さな事ではありません。
だからこそ、神様の御心にかなう態度を取りましょう。
