モーセは、神様が何が起こるか言われなかったと言えませんでした。神様は「パロの心が固くなるよ。びっくりしないでください。」と言われていました。
それでも、モーセは文句を言っていました。
モーセとアロンはパロの前に行って、三日間の休みを頼みました。「私たちは神様にいけにえを捧げたいからです。」と言いました。
「イスラエル人を開放しなさい」とは言わず、「ちょっと旅行したいです」と言っただけです。
けれども、パロはこう答えました。
「主とは一体何者か。私がその声を聞いてイスラエルを行かせなければならないというのは。私は主を知らない。あなたは怠け者なだけです。行け!働け!」
それに、パロは監督に命じました。
お前たちはレンガを作るわらをこれまでのようにこの民に与えてはならない。自分でわらを集めに行かせよ。
そしてこれまで作っていた量のレンガを作らせるのだ。それを減らしてはならない。(出エジプト記5:7ー8)
イスラエル人が文句を言っていたときに、パロは答えました。
「あなたのせいです。あなたは怠け者ですから。働け!」
だから、イスラエル人はモーセに文句を言って、もはやモーセの言葉を聞かなかったのです。
そして、モーセは神様に文句を言いました。
主よ。なぜあなたはこの民に害をお与えになるのですか。何のために、私を遣わされたのですか。
私がパロのところに行って、あなたの御名によって、語ってからこのかた、彼はこの民に害を与えています。
それなのにあなたは、あなたの民を少しも救い出そうとはなさいません。(出エジプト記5:22ー23)
つまり、「私はあなたが言われた通りにしたんだけど、何が起こったか見てください。」
神様はもう一度、モーセにパロのところに行きなさいと言われたとき、モーセは答えました。
イスラエル人でさえ、私の言うことを聞こうとはしないのです。どうしてパロが私の言うことを聞くでしょう。
私は口下手なのです。(出エジプト記6:10)
神様はモーセが従ったら、全てがスムーズに行くことを約束されませんでした。神様は何が起こるか教えてくださっていました。
しかし、モーセは忘れてしまったため、うまくいかないと、すぐに諦めたくなりました。
私たちの人生が上手くいかないと、どれぐらい私たちはその態度を取るでしょうか。
時々、私たちは神様が言われた通りにしますが、大変な状態になります。そして、私たちは文句を言って、諦めたくなります。
私たちがクリスチャンになるときに、神様はスムーズな人生を約束されません。幸せで、トラブルがない人生を約束されません。
イエス様はこう言われました。
誠に、あなた方に告げます。私のために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、畑を捨てたもので、その百倍を受けない者はありません。
今のこの時代には、家、兄弟、姉妹、母、父、子、畑を迫害の中で受け、後の世では永遠の命を受けます。(ルカ10:29ー30)
多くの人は神様から良い物をいただくことが大好きです。しかし、神様が言われたのは、クリスチャンの人生には迫害が普通であるということです。
イエス様は言われました。
あなた方は世にあっては患難があります。(ヨハネ16:33)
イエス様は「患難があるかもしれない」とは言われませんでした。
「万が一、患難が来るかもしれない」とも言われませんでした。
「患難が絶対に来る」と言われました。
けれども、その後で、イエス様は言われました。
しかし、勇敢でありなさい。私はすでに世に勝ったのです。(ヨハネ16:33b)
つまり、この世に、迫害と試練があっても、神様は私たちを助けてくださいます。
イエス様は私たちの一番大切な必要を十字架で満たしてくださったので、他の必要も満たしてくださいます。
ですから、神様に従うとき、あなたの道がいつもスムーズであるわけではないことを覚えていましょう。
神様が約束されたのは、もし神様に従うなら、その問題を乗り越えて、あなたが喜ぶことができるということです。
だから辛い時に、諦めないようにしましょう。神様に従う人にとっては、結局後悔がないのです。
