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出エジプト記

頑固さとプライド

出エジプト記7ー11章

私はこの箇所を読むと、パロの頑固さに驚きます。

パロの呪法師が最初の3つの奇跡を真似できたことで、パロの頑固さが少し理解できます。

けれども、その後で、パロには言い訳がありませんでした。なぜなら、モーセの言葉によって、いろんなトラブルが来たり消えたりしたからです。

それに、エジプト人が苦しむ中で、神様はイスラエル人を守られました。

パロの家臣たちさえ信じ始め、パロを説得しようとしましたが、パロは信じることを拒否しました。なぜでしょうか。

たぶん、プライドが強すぎて、「私は絶対に屈服しない。何が起こっても、屈服しない。」という態度だったのでしょう。

最初の奇跡の後、その態度がよく見えます。パロの呪法師がナイル川でモーセの奇跡を真似すると、パロは身を返して、自分の家に入りました。

パロはプライドを放さず、神様を認めることを拒否したため、彼の人生はめちゃくちゃになってしまいました。

エジプトの経済はモーセの奇跡によってだめになり、紅海でパロの軍隊も滅びました。

パロが愚かだったと言うのは簡単です。しかし、私たちはどうでしょうか。

私たちの人生がめちゃくちゃになっても、どれくらい自分のプライドを持ち続けるでしょうか。

夫たちと妻たちが自分のプライドを持ち続けて、神様の道を行かず、自分の道を行くことで、その結婚がだめになってしまうことがどれくらいあるでしょうか。

私たちが自分のお金の使い方が間違っているのに変えず、経済がだめになってしまうことがどれくらいあるでしょうか。

または、ギャンブルによって私たちの経済がだめになってしまうことがどれくらいあるでしょうか。

神様が聖書や他の人を通して、私たちの破壊的な習慣について注意してくださるのに、私たちはどれくらい悔い改めないでしょうか。

高ぶりは破滅に先立ち心の高慢は倒れに先立つ。

私たちがプライドを持って、神様に聞くことを拒否するなら、結局、私たちの人生はめちゃくちゃになります。

パロはその通りでした。私たちもその通りです。

私たちの関係も、経済も、人生の全てがだめになってしまいます。

しかし、もし私たちが神様の前に謙遜になり、プライドを捨てて、神様に従うなら、祝福を見いだすことができます。その祝福は、私たちの人間関係や生活の経済の中に現れ、さらに私たちが何をしても、神様の祝福を見いだすことができるのです。

ヤコブ4:6にこう書いてあります。

神は、高ぶるもの退け、へりくだるものに恵みをお授けになる。

また、ヤコブ4:10にこう書いてあります。

主のみ前でへりくだりなさい。そうすれば、主があなた方を高くして下さいます。

イエス様、私は頑固になって、あなたの声を聞きたくない時があります。だから、私は苦しみました。

私がプライドを放せるように助けてください。へりくだる心を私に与えてください。私にあなたの注意を聞く心を与えてください。

そうすれば、私を高くしてくださることを知っているからです。アーメン。

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