今日のブログは短いと思います。この箇所で、神様の導きについて、3つのポイントが印象に残っています。
最初は、神様は私たちが耐えられない状態に導かれません。17節には、こう書かれています。
さて、パロがこの民を行かせた時、神は、彼らを近道であるペリシテ人の国の道には導かれなかった。神はこう言われた。
「民が戦いを見て、心が変わり、エジプトに引き返すといけない。」
神様はイスラエル人がペリシテ人の国に行くことが耐えられないと知っておられたので、別の道に導いてくださいました。
そのように、私たちの人生に辛い状態が来ても、神様は私たちが耐えられない状態を許されません。
ある人はこう言いました。「私たちが経験した試練は、まず神様の手に通されています。」
パウロもこう言いました。
あなた方の会った試練はみな人の知らないようなものではありません。
神は真実な方ですから、あなた方を耐えることのできないような試練に会わせるようなこ とはなさいません。
むしろ、耐えることのできるように、試練と共に、脱出の道を備えて下さいます。(第一コリント10:13)
2つ目は、神様の導きが信頼できることです。
神様は何をされているのか、私たちをどこに導いてくださるのかを知っておられます。だから、私たちは神様に頼ることができます。
ヨセフもそう思いました。だから、兄弟たちに言いました。
神は必ずあなた方を顧みてくださる。その時、あなた方は私の遺骸をここから携え上らなければならない。(出エジプト記13:19)
最後に、神様は私たちの前を進んで、導いてくださっています。私たちがするべきなのは、神様に従うことだけです。
この箇所の最後の部分が大好きです。
主は、昼は、途上の彼らを導くため、雲の柱の中に、夜は、彼らを照らすため、火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。彼らが昼も夜も進んで行くためであった。
昼はこの雲の柱、夜はこの火の柱が民の前から離れなかった。(21ー22節)
神様はいつも私たちの前を進んで、私たちの道を照らしてくださいます。
私たちがはっきり見ることができる時も、暗くて曇っている時も、神様は決して私たちの前から離れないのです。
