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出エジプト記

苦さ、癒し、服従

出エジプト記15:22-27

以前述べたように、賛美が突然不平へと変わることは信じがたいのです。

イスラエル人は紅海の奇跡からわずか三日後に、水がなくて文句を言い始めました。

紅海を渡った後、イスラエル人は神にはどんなことでもできるのですと信じるべきでした。 もちろん、神様は荒野で水を備えてくださるのです。

やっと水を見つけたものの、その水はあまりにも苦く、再び人々は不平を言い始めました。

けれども、神様はモーセに「一本の木を水に投げ込みなさい」と言われました。

その後、その水は甘くなりました。そして、神様は言われました。

もし、あなた方が私に従うなら、私はあなたの癒し主になる。このマラの水を癒したように、あなた方も癒します。(出エジプト記15:26)

私たちはイエス様に従いながら、時に苦い経験をします。

ある時、それはまったく私たちのせいではありません。すなわち、サタンが私たちを攻撃することもありますし、この壊れた世界の現実によって苦しむこともあります。

とはいえ、時には私たち自身の誤った決断によって苦しむこともあるのです。

どのような原因であれ、苦い時に、神様は私たちの癒し主であることを約束してくださいます。それでも、同時に神様は私たちの従順を求められます。

時々、私たちはそのことを聞きたくないです。私たちは恵みによって救われたでしょう?なぜ服従が必要なのでしょうか。

けれども、以前述べたように、多くの場合、まず服従があり、その後に神様の祝福が与えられるのです。

結婚に癒しが必要でしょうか。癒しのために祈るだけでは十分ではありません。神様の御言葉に従わなければならないのです。

すなわち、妻を愛し、妻のために自分自身を犠牲にし、妻を敬わなければなりません。

また、夫を尊敬し、夫に従わなければなりません。

そうしなければ、結婚に癒しは起こらないのです。

経済に癒しを求めるでしょうか。祈るだけでは十分ではありません。

働かなければならないのです。経済の計画を立てなければならないのです。忠実な管理人としてお金を用いなければなりません。

そのお金は神様から委ねられたものだからです。それを覚えていなければ、経済に癒しは起こらないのです。

モーセは神様の命令に従わないと、その水は甘くなりませんでした。

その命令はちょっとおかしなものでした。おそらく、モーセはこのように考えたのかもしれません。

「もしその木を水に投げ込んだら、どうやって甘くなるのか」ということです。

それでも、モーセは神様の命令に従ったのです。

時に、私たちは神様にこう尋ねます。「十一献金を捧げたら、どうやってお金を蓄えることができるのでしょうか。」

または、こう言います。「私の夫は私を愛してくれない。どうして私は尊敬しなければならないのでしょうか。」

あるいは、こう思います。「私の妻は私に従わない。どうして私は愛を示さなければならないのでしょうか。」

しかし、服従だけによって、神様の癒しと祝福を見つけられます。

もし私たちが不服従の人生を歩み続けるなら、神様は困難が訪れることを許されるのです。エジプト人はそのことを学びました。

けれども、エジプト人への呪いとは異なり、神様が積極的に呪う必要はありません。神様はただ、私たちの行動の結果を刈り取ることを許されるのです。結局、私たちは自分自身の行動によって自らを呪うのです。

あなたはどうでしょうか。今、苦しみの中にあって癒しを必要としていますか。もしそうなら、神様の御言葉に従ってください。

たとえ難しくても、理由が分からなくても、従うのです。そうすれば、神様はあなたを癒してくださるのです。

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