私がモーセだったら、イスラエル人を導くことが大嫌いだったでしょう。なぜなら、その人たちは、すぐに前の経験を忘れ、あまり神様の言葉に注意しなかったからです。
この話で、もう一度、イスラエル人は神様とモーセに対して文句を言っていました。今回は食べ物が無いことについて文句を言っていました。彼らは言いました。
エジプトの地で、肉なベのそばに座り、パンを満ち足りるまで食べていた時に、私たちは主の手にかかって死んでいたら良かったのに。
事実、あなた方は、私達をこの荒野に連れて出して、この全集団を飢え死にさせようとしているのです。(出エジプト記16:3)
エジプトにいた時に、この人たちは奴隷だったから、神様に叫びました。「助けてください!」
けれども、その大変な生活を忘れて、エジプトの食べ物について考え始めました。
だから、神様は天からのパンを与えてくださいました。しかし、イスラエル人は神様の簡単な命令を守りませんでした。神様は言われました。
「その日のためにパンを集めなさい。明日のために蓄えてはならないのです。」
ところが、あるイスラエル人たちは何をしたのでしょうか。次の日のためにパンを蓄えようとしましたが、そのパンは腐ってしまったのです。
そして、神様は言われました。
「毎週の六日目には、二日分を集めなさい。七日目にはパンを見つけることはできないのです。」
七日目に、あるイスラエル人たちは何をしたのでしょうか。パンを探しましたが、何も見つけることができなかったのです。
モーセは非常に怒り、神様も怒られました。「いつまで私の命令と教えを守ろうとしないのか」と言われました。(28節)
つまり、「どうして、あなた方は私に信頼してくれないのか。全てよりも、あなたの信頼が欲しい。」
そういうわけで、「毎日パンを集めなさい」と命令されました。
神様は、イスラエル人が毎日神様に信頼することを学ぶように望んでおられました。
何千年が経っても、神様は変わられませんでした。神様は、まだ私たちとの信頼関係を望んでおられます。
あなたが神様との関係を望むなら、スタート地点は神様に信頼することです。
ユダヤ人はイエス様に「神様を喜ばせるために何をしたらいいでしょうか」と尋ねたら、イエス様は答えられました。
あなた方が、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。(ヨハネ6:29)
神様を喜ばせるために、聖書を読んで、祈って、教会に行きなさいとは言われませんでした。それらすべてが良いことですが、神様が一番望んでおられるのは私たちが神様のひとり子に信頼することです。
ユダヤ人はしるしを求めました。「モーセは私たちの先祖にパンを与えてくれました。あなたは何を与えてくださるでしょうか。」(30ー31節)
イエス様は答えられました。
私が命のパンです。
私に来る者は決して飢えることがなく、私を信じる者どんな時にも、決して渇くことがありません。(ヨハネ6:35)
つまり、あなたの魂と霊を満足させるために、イエス様に行かなくてはなりません。
罪の赦しのためにイエス様に信頼すべきです。
神様との関係のために、イエス様を通して行かなくてはなりません。そうしないと、あなたの中で空虚があって、あなたの魂が飢えます。
しかし、イスラエル人はマナを見ても何なのか分からなかったように、ユダヤ人がイエス様に会っても誰なのか分かりませんでした。
イスラエル人はマナを見て、「これは何ですか」と聞いたように、ユダヤ人がイエス様を見て、「あなたは誰ですか」と聞きました。
「あなたはただの人間です。私たちは、あなたの御両親を知っているのに、どうしてあなたが天からのパンと言えるでしょうか。」
そして、彼らはイエス様を信じることを拒否して、立ち去りました。
あなたはどうでしょうか。イスラエル人のように、神様に信頼せずに自分の道を行くのでしょうか。
それとも、イエス様の弟子たちのように、こう言うのでしょうか。
私たちは誰のところに行けばよいのでしょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。私たちは、あなたが神の聖者であることを信じ、また知っているのです。(ヨハネ6:68ー69)
あなたの魂の空虚さを満たすためにイエス様に信頼しますか。
日常の必要を満たすために神様に信頼しますか。
あなたの人生を導くためにイエス様に信頼しますか。
