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出エジプト記

ひとりで戦う必要がない

出エジプト記17:8ー16

イスラエルの最初の戦いは、アマレクという国に対して行われました。

イスラエル人が疲れて砂漠を進んでいたとき、アマレク人は後ろにいた弱っている者や病気の者を攻撃したのです。(申命記25:17ー18)

だから、神様はアマレク人と戦いなさいと命じられました。

ちょっと不思議な出来事です。モーセはアロンとホルと一緒に丘に登りました。

モーセの手が上がっていると、イスラエル人が優勢でした。けれども、モーセが疲れて手を下げると、アマレク人が優勢になり始めました。

そこで、モーセは座り、アロンとホルが彼の手を支えました。こうしてイスラエル人はアマレク人を打ち破ったのです。

どうしてモーセは手を上げ続けなくてはならなかったのでしょうか。分かりません。:)

しかし、その戦いは私たちの人生と似ています。つまり、その戦いは私たちの罪との戦いと似ています。私たちが弱くて、疲れているときに、誘惑はすぐに来ます。

私たちが疲れているときに、サタンは「かわいそう。じゃあ、彼が強くなるときに、また戦おう。」とは言いません。

むしろ、「あ!チャンスだ!」と言います。

そして、私たちを攻撃します。

サタンはイエス様を攻撃するとき、その作戦を用いました。

イエス様が荒野で断食し、疲れて弱っておられるときに、サタンはイエス様を誘惑しました。

サタンは立ち去った後も、さらに良い機会を待っていたのです。(ルカ4:13)

しかし、神様は私たちに、「何もしないで、倒れるまでじっと立ちなさい」とは言われません。

「戦いなさい」と命じられるのです。

けれども、戦っているときに、私たちは時に疲れてしまいます。 そして、もう戦えず、誘惑に負けてしまおうと思うこともあります。

しかし、モーセが弱っていたときにアロンとホルが彼を支えたように、私たちにも支えてくれる人がいるのです。

ヤコブ5章16節にはこう書かれています。

だから、互いに罪を告白し合い、また、いやされるように互いのために祈りなさい。義人の祈りは、大いに力があり、効果のあるものである。

私たちが一人で罪と戦うことは、神様の御心ではありません。神様は私たちを支えるために、他のクリスチャンを備えてくださったのです。

だから、神様は私たちに他のクリスチャンへ罪を告白しなさいと言われます。そうすれば、彼らに責任が生まれ、ヤコブが言ったように、その祈りは大いに力があり、効果をもたらすのです。

兄弟たちと姉妹たちが私たちを支えてくれますが、それだけではなく、神様も私たちを支えてくださいます。

モーセは「主は私たちの旗です」と言いました。

戦争の時に、旗はその軍隊が誰のために戦っているかを示しました。そして、皆がその旗を見たら、勝利の希望がありました。

だから、モーセが言ったのは「辛いときに、私たちは神様に焦点を当てたら、勝利の希望がある」ということです。

私たちにとってもその通りです。罪と戦うときに、私たちががっかりして、もう戦えないと思ったら、こうしましょう。

信仰の創始者であり、またその完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。

イエスは、ご自分の前におかれてた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の右に着座されました。

あなたがたは、罪びとたちのこのような反抗をしのばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。(ヘブル12:2ー3)

あなたは罪と戦っていますか。一人で戦う必要はありません。教会の兄弟たちと姉妹たちはあなたを助けてくれるでしょう。

それだけではなく、あなたの信仰を始められたイエス様は、あなたの信仰を完全にしてくださいます。

だからこそ、イエス様を仰ぎ見つめめましょう。イエス様はあなたの旗だからです。

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