私が子供の時に、私の家は強盗に入られました。幸いに、貴重品は盗まれなかったと思います。けれども残念ながら、警察はその犯人を捕まえることはできませんでした。
数年前、日本でオレオレ詐欺の話がありました。犯人は高齢者に電話して、「お母さん。俺だよ」と言って、お金を願いました。その被害者は騙されて、多額のお金を失いました。
最近では、アイデンティティ盗難も起こっています。犯罪者は私たちのクレジットカード番号を入手し、自分のために不正に使用してしまいます。
何年か前、誰かが私のカード番号を使おうとしましたが、幸い銀行がすぐに気づいてくれたので、私は何も失わずに済みました。
それだけではなく、多くの人が映画や音楽、ソフトを違法にダウンロードし、企業を困らせています。
けれども、彼らは深く考えずに勝手に行動し、「皆がそうしている」と言います。
多くの場合、彼らは「私にはその権利がある。なぜ支払わなくてはならないのか。その会社には十分なお金があるだろう?ただでダウンロードしても構わないだろう」と思っているのです。
しかし、神様の御目には盗みなのです。神様の御目には罪なのです。
そして、さらに悪い種類の盗みがあります。
どれほど多くの人が「私の人生だ」「私の体だ」と言うのを耳にすることでしょうか。
けれども、その考え方は誤っています。人はそう言いますが、彼らが理解していないのは、自分自身が盗まれた存在であるということなのです。どういう意味でしょうか。
神様は私たちすべてを創造されました。だから、私たちは神様のものなのです。
作家が本を書いたなら、その本は作家のものです。
作家はそれを出版して利益を得るかもしれないし、家族に贈るかもしれないし、あるいは捨てるかもしれません。なぜなら、その本は作家のものだからです。
芸術家が絵を描いたなら、その絵は芸術家のものです。
芸術家はその絵を自由に扱うことができます。売ることもできるし、美術展を開いて展示することもできるし、誰にも見せずに自分の家に置いておくこともできます。
誰かが何かを作ったなら、そのものはその人のものです。
もし他の人がそれを奪って「これは私のものだ」と言うなら、それは盗みなのです。
だから、私たちが神様に「これは私の人生です。私は好きなようにします」と言うなら、それは盗みなのです。神様のものを勝手に用いることになるからです。
これは特にクリスチャンに当てはまります。神様は私たちを創造され、さらにキリストの血によって贖われました。だから、この二つの理由によって、私たちは神様のものなのです。
神様は、闇市場で自分の盗まれたものを見つけて、もう一度それを買い戻す人のようです。
泥棒であるサタンは私たちを盗み、奴隷にしました。しかし、キリストの十字架の死によって、神様は私たちを贖い戻してくださいました。そのため、私たちは再び神様のものとなったのです。
だから、パウロはこう書いているのです。
あなた方は、もはや自分自身のものではないことを知らないのですか。あなた方は、代価を払って買い取られたのです。ですから、自分の体を持って、神の栄光を現しなさい。(第一コリント6:19ー20)
だから、クリスチャンには「私の体」や「私の人生」と言う権利はありません。「私のお金」や「私の時間」とさえ言えないのです。
私たち自身も、私たちの持ち物も、本当に神様のものなのです。
ですから、問いは「私の人生で、どうしようか」ではありません。
「私のお金で、どうしようか」という問いでもありません。
「私の時間で、どうしようか」という問いでもありません。
問いはこうです。
「神様、あなたはどのように私を用いようとされるのでしょうか。私はあなたのものです。私の持ち物はあなたのものです。あなたの御心は何でしょうか。」
私は若い時に、神様にその問いを尋ねていたら良かったのにと思います。
実は、私は尋ねましたが、その答えを無視しました。なぜなら、その答えが気に入らなかったからです。
神様は「日本に行きなさい」と言われましたが、私は答えました。「嫌です。これは私の人生です。日本には行きたくありません。」
大学生の時、私は日本語を学ぶことや英語を教えることを身につける機会がありましたが、好きなようにしました。つまり、ビジネスとコンピュータに焦点を当てたのです。
けれども今、その学びは全く用いていません。
振り返ると、私は多くの面で神様の御心を無視し、自分の好きなようにして時間を浪費しました。
永遠に価値あることに焦点を当てず、一時的なことに焦点を当ててしまったのです。
私は神様から盗みました。自分勝手な目的のために、神様のものを用いたのです。すなわち、私の人生とお金と時間です。
もう神様から盗みたくはありません。
では、あなたはどうでしょうか。あなたは盗まれた存在でしょうか。神様のものを取って、勝手に用いているのでしょうか。
あなたの時間は?
あなたのお金は?
あなたの人生は?
それらはあなた自身のものではありません。あなたは代価を払って買い取られたのです。
だからこそ、それらすべてをもって、神の栄光を現すのです。
