今日、十戒の最後の命令を見ます。その命令は十戒の中で独特です。なぜなら、その命令は心の思いを扱うからです。
他の命令は私たちの行動を扱います。
偶像を作るな。神様の御名をみだりに唱えてはならない。安息日を守りなさい、などです。
しかし、十番目の命令で、神様はこう言われました。
「姦淫を犯さなくても、十分ではありません。あなたの隣人の妻を欲しがってはなりません。
盗まなくても、十分ではありません。あなたの隣人のものを欲しがってはなりません。」
神様は私たちの正しい行動だけでなく、心についても心配されます。
イエス様は山上の垂訓でさらに説明されました。イエス様はこう言われました。
「殺人を犯さなくても、十分ではありません。誰かに対して怒りを持ってはなりません。姦淫を犯さなくても、十分ではありません。情欲を抱いて女性を見ると、すでに心の中で姦淫を犯したことになります。」
どうして神様はそれを大切だと思われるのでしょうか。
それは、何よりも神様は私たちの心を求めておられるからです。
多くの場合、神様はイスラエル人に対してフラストレーションを感じられました。なぜなら、彼らが礼拝の行動をしても、神様に心を捧げなかったからです。
同様に、イエス様もパリサイ人に対してフラストレーションを感じられました。パリサイ人も表面上は正しい人たちでしたが、彼らは律法の小さなポイントを守っても、心の中では汚れていました。
イエス様はパリサイ人に言われました。
忌まわしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。
あなた方は白く塗った墓のようなものです。
墓はその外側は美しく見えても、内側は、死人の骨や、あらゆる汚れたものがいっぱいなように、あなた方も、外側は人に正しいと見えても、内側は偽善と不法でいっぱいです。」(マタイ23:27ー28)
私たちはどうでしょうか。
私たちの外側は正しいと見えても、内側は死人の骨や、あらゆる汚れたものでいっぱいでしょうか。
私たちの心は本当に神様のものでしょうか。
それとも、私たちはただ振りをしているだけでしょうか。
周りの人を騙せるかもしれませんが、神様を騙すことはできません。
神様、私の心が本当にあなたのものになるように。私の心の中に死人の骨がたくさんあることが分かります。取り去ってください。
偽善者になりたくありません。私の心があなたのものになることを望んでいます。
私にとっては本当に難しいことです。あなたの力と恵みによって内側から私を変えてください。アーメン。
