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出エジプト記

群衆にならう

出エジプト記23:1ー3

私は幼い頃の思い出があります。ある日、クラスメートたちが私をからかっていました。理由は覚えていませんが、友だちの反応はよく覚えています。彼は私の隣に来て、こう囁きました。

「私もあなたをからかうけど、気にしないでね。本気じゃないから。」

私は頷き、その友だちが私をからかい始めました。

私たちの関係が壊れたわけではありませんが、振り返ってみると、かなりひどいことでした。彼は全然私を守ってくれませんでした。むしろ、彼は皆に合わせて、私をからかいました。

とはいえ、私も同じようなことをしたことがあります。皆が全然人気のない人をからかい始める時に、私も参加してしまいました。その人が私の友だちではなかったけど、私は悪かったです。

神様はこの箇所で言われました。

悪を行う権力者の側に立ってはならない。(出エジプト記23:2)

英語では少し違う翻訳です。それは、「悪を行う群衆にならうな。その悪い行いを真似するな。」ということです。

この箇所は特に不当な証言について述べています。つまり、皆が不当な証言をしても、あなたは皆にならって不当な証言をしてはなりません。

十戒の話で、私はゴシップと中傷について既に書きましたので、今回はそのことをあまり焦点に当てません。

けれども、その二つの点で、群衆(多数決の意見)にならうのは簡単です。誰かが他の人を悪口し始めると、あなたも悪口を言い始める。「そう、そう、彼はね…」

しかし、そんな話は人を破壊し、教会も破壊します。

どれくらい、誰かが牧師を批判し、他の人も参加することで、すぐに牧師が包囲攻撃の状態になるでしょうか。

神様はそのようなことを憎まれます。だから、神様は命じられました。「群衆についていくな。そんな悪い言葉を言うな。」

どの状況でも、悪を行う群衆についていってはなりません。

どれくらい、私たちはそうするでしょうか。

どれくらい私たちは「皆がそうしているから」と言うでしょうか。

それは言い訳にはなりません。

神様は私たちが群衆についていくことを望んでおられません。

私たちが神様についていくことを望んでおられるのです。

それは教会に行くときだけではなく、職場でも、家庭でも、どこにいても、神様は私たちが御自身についていくことを望んでおられるのです。

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