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出エジプト記

完全に愛する

出エジプト記23:4ー9

多くの人は「敵を愛しなさい」という教えがイエス様から来たと思いますが、その教えの根はこの箇所から来ています。

あなたの敵の牛とか、ろばで、迷っているのに出会った場合、必ずそれを彼のところに返さなければならない。

あなたを憎んでいる者のろばが、荷物の下敷きになっているのを見た場合、それを起こしてやりたくなくても、必ず彼と一緒に起こしてやらなければならない。(出エジプト記23:4ー5節)

私たちの敵が大変な状態になったら、私たちはよく喜びます。私たちは「彼はその悪いことに値している。それは良かったです」と言います。

しかし、神様は喜んではならないと言うだけでなく、「わざわざその人を手伝いなさい」と言います。

それはかなり難しいことです。

私を憎んでいる人をわざわざ手伝うことは私の気持ちに反します。

時々、好きな人を手伝ってあげることさえ大変です。けれども、好きではない人を手伝ってあげることはさらに大変です。

しかし、イエス様が命じられたのは、私たちの愛を完全なものにするということです。

つまり、あなたを愛している人だけを愛するのではなく、あなたを愛していない人も愛するべきです。

あなたに親切にする人だけに親切にするのではなく、あなたに親切にしない人にも親切にするべきです。

神様はもう一つのことを命じられました。それは、貧しい人と在留異国人を差別しないことです。

私が大阪に住んでいた時に、ある木曜日か金曜日にホームレスの人が教会に来ました。そして、彼は教会について聞き始めました。

私の日本語があまりよくなかったけど、牧師の妻がたまたま出てきたので、私は来てくださいのジェスチャーをしました。

彼女はちょっと変な顔をして、ホームレスの人と全然話したくなさそうでした。けれども、そのホームレスの人はもう彼女を見てしまったので、その牧師の妻は彼と話をしなければなりませんでした。

私はその牧師の妻の反応を見て、がっかりしました。

しかし、私も人に対する反応が完全だと言えません。特に、私と違う人に対する反応は完全ではありません。

日本では、私は外国人です。私こそが異なる存在です。だからこそ、私の方が努力して周囲の人々と関係を築くべきなのです。

それなのに、私と異なる人に出会うと、私は少し避けてしまいます。

私のような人と時間を過ごしたいのです。多分、皆もそうでしょう。

けれども、例えば、もし教会で一人で座っている人を見たら、私はもっと完全な愛が必要です。つまり、その人に触れるべきです。

イエス様はこの世に来た時に、彼の愛は完全でした。彼と違う人でも、敵でも、友達でも、構いませんでした。イエス様は皆を愛しておられました。

だからこそ、イエス様はこう言われました。

あなた方は互いに愛し合いなさい。

私があなた方を愛したように、そのように、あなた方も互いに愛し合いなさい。

もしあなた方の互いの間に愛があるなら、それによって、あなた方が私の弟子であることを、すべての人が認めるのです。(ヨハネ13:34~35)

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