私は認めます。この箇所はめちゃくちゃつまらないと思います。私たちは本当にそんな細かいことを知らなくてはならないでしょうか。
はい、分かりました。イスラエル人はそれを作らなくてはならなかったから、知る必要がありました。とはいえ、今は21世紀なのです。
いずれにせよ、この箇所の象徴は自分自身についてイエス様の言葉を思い出させます。つまり、イエス様は命のパンであり、世の光です。(ヨハネ6:35;8:12)。
供えのパンは絶えず幕屋の特別な机の上に置かなくてはなりませんでした。
英語の翻訳で、「Bread of the Presence」、つまり、神様の臨在のパンというものでした。
そのパンによって、イスラエル人は神様がいつも共におられ、導かれ、必要を備えられたことを思い出しました。
それだけでなく、イスラエル人が砂漠で生き残るために神様が天からのパンを備えられたことを思い出させました。
さらに、神様はイエス様を指しておられました。つまり、イエス様は、天から下って来て、世に命を与えるパンです。(ヨハネ6:33)
パンが私たちの体に命を与えるように、イエス様は私たちの霊に命を与えます。
もし誰かがイエス様を信じるなら、その人は永遠の命を受けるのです。
二つ目のシンボルは純金の燭台でした。
その燭台は夜から朝まで絶えず灯しておかなければなりませんでした。それを見て、神様がイスラエル人の光であることを思い出しました。
神様は火の柱として、エジプトからイスラエル人を導かれました。夜の時に、神様は彼らの光でした。
けれども、それだけでなく、神様は彼らの霊的な光でした。神様はイスラエル人に聖くて正義の道を示されました。
そのように、イエス様は世の光です。
イエス様は、この暗く罪に満ちた世に、真理と命の光を照らされました。
しかし、その闇は光に打ち勝つことができなかったのです。(ヨハネ1:5)
イエス様は言われました。
わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。(ヨハネ8:12)
たくさんの人はつまずきながら、人生の意味を探しています。
イエス様だけにあって、私たちは人生の意味と目的を見つけることができます。イエス様が私たちの人生に光を照らすと、私たちがどこに行くべきか、何のために作られたかが分かるようになります。
もし、人生の意味を探しているなら、私たちの創造者に尋ねるべきでしょう。
この世の命以上のものを探していますか。命のパンを求めてください。イエス様の前に行けば、あなたはもう飢えることがありません。
暗闇の中でつまずきながら、あなたは人生の意味を探しているのですか。
世の光であるイエス様を仰いでください。
イエス様にあってこそ命の光があり、そこであなたの人生の意味と目的を見いだすことができるのです。

One reply on “命のパン、世の光”
[…] 聖所の中で、供えのパンと燭台と金の香壇がありました。至聖所の中で、契約の箱がありました。至聖所の中で神様の住むところとみなした。でも、神様がいる至聖所に行くのには供えのパンと燭台を通り過ぎなくてはならなかった。私達がもう学んだようにその二つの物はイエス様のシンボルでした。 […]
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