これは幕屋について、最後の箇所です。私はこれを読んで、私たちの神様との関係について考えます。
例えば、聖所にある壇の上に香を絶えずに炊きました。
聖書の中で、その香の煙は、人々の祈りが神様に上がる象徴でした。(黙示録5:8;8:3ー4)
その象徴を通して、私たちは神様がいつも私たちの祈りを聞いてくださることを思い出します。小さい祈りでも、神様は聞いてくださいます。
しかし、祈る前に、私たちは他のことを思い出さなければならないのです。
一つは、私たちの罪が贖われなければならないことです。つまり、私たちの罪を覆うために、神様はイエス・キリストを通して、代価を払ってくださいました。
イスラエル人は調査の税金を払いました。その税金は贖い金と呼ばれたのです。
各人は、貧しくても、金持ちでも、半シェケルを払わなければなりませんでした。なぜならば、みな神様の目に等しく、みな神様の贖いが必要だったからです。
二つ目は、祭司たちは神様のみ前に来る前に、自分の手と足を洗わなければなりませんでした。
同様に、私たちが神様の前に来る時には、毎日私たちの罪を洗われなければならないのです。私たちの罪は祈りを妨げてしまうからです。
詩篇66:18にこのように書いてあります。
もしも私の心にいだく不義があるなら、主は聞き入れてくださらない。
だから、神様のみ前に来たら、罪を告白しなければなりません。第一ヨハネ1:9にこう書いてあります。
もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。
最後に、祭司たちは油を注がれなければなりませんでした。
聖書では、油は聖霊の象徴です。私たちはクリスチャンになる時に、聖霊が私たちの中に住むように来られます。(ヨハネ16:7)
それに、聖霊は私たちを導いてくださり、私たちのためにとりなしてくださり、神様の計画を成就するように力を与えてくださいます(ヨハネ16:13;ローマ書8:27;使徒の働き1:8)
神様、私があなたの前に来るときに、あなたが私の祈り一つひとつを聞いてくださいましたことを感謝します。ダビデが祈ったように、私も祈ります。
「私の祈りが御前への香として、私が手を上げることが夕べのささげ物として立ち上りますように。」
私はあなたの前に来るたび、あなたが私のために身代金を払ってくださいましたことを思い出して、感謝します。
私の罪を示してください。そして、赦してください。
あなたの御霊で私を満たしてください。
聖霊が私を導いてくださり、私があなたの声を聞くことができるようにしてください。
あなたの御心に従うために、聖霊の力で私を満たしてください。
そして、聖霊が私のためにとりなしてくださるとき、天のお父さんがその声を聞いてくださいますように。アーメン。
