それでは、モーセの話に戻りましょう。
ずっと律法や幕屋、そして祭司のことについて読んできましたが、ついにアクションが描かれます。
残念なことに、アロンとイスラエル人は大変に悪いことをしました。
モーセが神様に会うために山に登った40日間の後に、また、イスラエル人が神様と神様の道に従うことを約束した40日後に、彼らは忍耐を失いました。
そして、彼らはアロンにこう言いました。
さあ、私たちに先立って行く神を、造ってください。
私たちをエジプトの地から連れ上ったあのモーセという者が、どうなったのか、私たちにはわからないから。(出エジプト記32:1)
アロンはそれを聞いて、どうしたのでしょうか。
この大祭司アロン。このイスラエル人の指導者アロン。この神様に従うアロン。彼はどう答えたのでしょうか。
「はい。分かりました。そうしましょう。」
私は信じられません。
アロンはモーセと一緒にパロに立ち向かい、数々の素晴らしい奇跡を見たのに、皆の前に立って「絶対にだめだ。そんなひどいことをしてはいけない。モーセのために待ちなさい。必ず帰ってくる。」とは言わなかったのです。
むしろ、アロンは「はい、分かりました。そうしましょう。金を集めてください」と言いました。
そして、その金で偶像を作りました。そのあと、アロンはこう言いました。
「これはあなたの神です。」
どうして、そんなひどいことをしたのでしょうか。
私は分かりませんが、多分、アロンはこう思ったかもしれません。
「私は本当に神様に背を向けてはいません。神様の御名をまだ呼んでいるからです。」
彼はイスラエル人に言いました。
これがあなたをエジプトの地から連れ上ったあなたの神だ。。。
あすは主(つまり、「ヤハウェ」)への祭りである。(4ー5節)
ようするに、アロンが言ったのは「この偶像はヤハウェの象徴です。ヤハウェをほめたたえよう。明日、ヤハウェへの祭りを祝おう。」ということです。
そして、いつも通りに全焼のいけにえをささげ、和解のいけにえを供えましたが、その偶像をヤハウェと名付けました。
後に、モーセがアロンに面と向かって、「一体何をしたのか」と聞いたときに、アロンは言いました。
「このイスラエル人のせいです。彼らは見える神が欲しかったのです。そして、私が金を火に投げ入れたところ、この子牛が出て来たのです。まるで魔法のようでした。」(22ー24節)
まるで8歳の子供の言葉のようです。80歳の人の口から出るとは思えません。
けれども、アロンはそう言っていたのです。
アロンを批判するのは簡単です。しかし、神様の祭司として、私たちも同じようなことをどれほどしているのでしょうか。
私たちは仲間からの集団的な圧力に、どれほど負けてしまっているでしょうか。
例えば、上司からの圧力を感じて、経理の記録に嘘を書いてしまう。
あるいは、家族からの圧力を感じて、洗礼を受けないままでいる。
または、友だちからの圧力を感じて、彼らと一緒に悪いことをしてしまう。
そして、私たちは言い訳をします。
アロンのように、私たちは自分自身にこう言います。
「私の行動はそんなに悪くないだろう。私はまだ神様に仕えている。神様は理解してくださるはずだ。私はそうせざるを得なかった。」
あるいは、「私のせいではありません。私は無理やりさせられたのです。」と言います。
そして、私たちは愚かな言い訳をしてしまうかもしれません。
しかし、神様の祭司として、私たちは正しいことのために戦わなくてはなりません。私たちは立ち上がって、「これは絶対にだめだ。私は絶対に参加しない。」と言わなければなりません。
そうしなければ、私の証を壊し、神様の御名を汚してしまいます。ローマ書2:24で、パウロはこう書きました。
神の名は、あなたがたのゆえに、異邦人の中でけがされている。
それが私たちについて決して言われることのないように。
