罪を憎みつつ、罪人を愛しましょう。そのバランスを見つけるのは難しいのです。
多くの人々は一方の極端に走り、また他の人々は反対の極端に走ります。
「あなたは地獄に行く!」と言う人もいれば、「大丈夫だ。何をしても構わない。神様はあなたの行動を気にされない。むしろ神様はあなたの行動に同意しておられる。」と言う人もいます。
アメリカでは、同性愛者に対するクリスチャンの反応がその極端に現れることがあります。
クリスチャンとして、私たちは悪を善として扱ってはなりません。罪を耐えてはいけません。
それでも、私たちは人々が悔い改めることを望むべきです。誰かが地獄に行ったら、私たちの心は泣くべきです。
正直に言うと、その原則について考えると、この聖書の箇所は少し難しいのです。
この箇所から一つの真理を学ぶことができます。すなわち、故意に罪を犯したり、神様に故意に反抗したりすれば、最終的に罰せられるということです。
その時、多くのイスラエル人は剣によって殺され、他のイスラエル人は疫病によって殺されました。
神様は罪を必ず罰しなくてはなりません。だから、多くの人は地獄に行くのです。
人々はそのメッセージを知らなくてはなりません。そのメッセージを伝えることに反対するものではありません。
とはいえ、時にクリスチャンは喜びを持って「あなたは地獄に行く!」と言うように見えることがあります。まるで、その人々が地獄に行くことを嬉しく感じているかのようです。
けれども、クリスチャンはその人のために泣き、とりなすべきなのです。
モーセはそうしました。彼は皆の罪に対して本当に怒りました。
モーセは皆の行動を見て、十戒の板を投げ捨てて砕きました。その子牛の偶像を火で焼き、その残りを水に撒き散らし、皆にその水を飲ませました。
それでも、あるイスラエル人は罪を犯し続け、乱れてしまいました。
しかしその後、モーセはイスラエル人のためにとりなしました。モーセはイスラエル人を愛し、心配したので、彼は祈ったのです。
今、もし、彼らの罪をお赦しくだされるものなら―。
しかし、もしも、かないませんなら、どうか、あなたがお書きになったあなたの書物から、私の名を消し去ってください。(32)
「あなたは地獄に行く!」と言う人々は、どれほどモーセの祈りを祈るのでしょうか。
周りの人々の罪を見て、あなたは怒りますか。それは当然のことだと思います。もし怒りがないなら、あなたの心の態度は間違っているのです。
あなたの周りの人々の多くが地獄に行くことを心配しているでしょうか。その人々のために涙を流しているでしょうか。その人々のためにとりなしているでしょうか。
そうでないなら、あなたの心の態度は間違っているのです。なぜなら、神様はその人々を愛し、イエス様を彼らのために死ぬように送ってくださったからです。
私たちもそのような心を持つ必要があるのではありませんか。
