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出エジプト記

神様に​近づく

出エジプト記33章

モーセとヨシュアはどのように独特だったでしょうか。彼らは他のイスラエル人とどのように違ったのでしょうか。どうして神様はその二人を用いることができたのでしょうか。

この箇所で答えが見つけられると思います。

その二人は、神様に近づきたいという強い願いを抱いていたのです。

他のイスラエル人は神様を恐れましたが、モーセとヨシュアは神様を愛し、近づきたかったのです。

他のイスラエル人は神様から距離を保とうとしましたが、モーセは顔と顔を合わせて神様に話しました。

ヨシュアはモーセと一緒に神様に会いに行きませんでしたが、いつも幕屋の近くにいました。

そして、モーセが幕屋を出ても、ヨシュアは幕屋を離れませんでした。なぜなら、神様の近くにいたかったからです。

モーセが神様と話した時、彼の願いは神様を親しく知り、神様の道をよく知りたいということでした。

モーセは祈りました。

今、もしも、私があなたのお心にかなっているのでしたら、どうか、あなたの道を教えてください。そうすれば、私はあなたを知ることができ、あなたのお心にかなうようになれるでしょう。(出エジプト記33:13)

モーセの願いは、彼がどこに行っても、神様がモーセと共におられることでした。だから、モーセは祈りました。

もし、あなたご自身がいっしょにおいでにならないなら、私たちをここから上らせないでください。

私とあなたの民とが、あなたのお心にかなっていることは、いったい何によって知られるのでしょう。

それは、あなたが私たちといっしょにおいでになって、私とあなたの民が、地上のすべての民と区別されることによるのではないでしょうか。(15ー16)

しかし、モーセの一番の願いは神様の顔を見ることでした。

「どうか、あなたの栄光を私に見せてください。」と言いました(18節)。

神様の反応は?

わたし自身がいっしょに行って、あなたを休ませよう。。。

あなたの言ったそのことも、わたしはしよう。

あなたはわたしの心にかない、あなたを名ざして選び出したのだから。(14、17)

神様が許されなかったことはただ一つでした。神様はこう言われたのです。

あなたはわたしの顔を見ることはできない。

人はわたしを見て、なお生きていることはできないからである。(20)

神様は聖なる方だから、罪深い私たちが神様の顔を見て生きることはできません。

(モーセが顔と顔を合わせて神様に話したということは比喩です。その意味は、モーセと神様が親しい関係にあったということです。)

それでも、神様はモーセにその栄光を少し表されました。なぜなら、モーセが神様をもっと知りたかったからです。

どうして、神様はモーセのためにそうされたのでしょうか。

なぜなら、神様は私たちに近づきたいと願っておられるからです。

私たちが神様に近づきたいかどうかにかかわらず、神様は私たちに近づきたいのです。

神様は私たちの名前を知っておられ、私たちと共に歩み、ご自身を現したいのです。

けれども、私たちは神様に近づきたいのでしょうか。

神様はこう問いかけられたのです。

わたしに近づくためにいのちをかける者は、いったいだれなのか。(エレミヤ書30:21)

その箇所はイエス様について語っています。

当時、イエス様だけが神様に近づくことができたのです。

なぜなら、イエス様だけが父なる神様のように聖なる方であったからです。

しかし、イエス様の血によって私たちの罪が清められたので、今では私たちも神様に近づくことができます。

ヤコブは書いたように、

神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。(ヤコブ4:8)

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