モーセとヨシュアはどのように独特だったでしょうか。彼らは他のイスラエル人とどのように違ったのでしょうか。どうして神様はその二人を用いることができたのでしょうか。
この箇所で答えが見つけられると思います。
その二人は、神様に近づきたいという強い願いを抱いていたのです。
他のイスラエル人は神様を恐れましたが、モーセとヨシュアは神様を愛し、近づきたかったのです。
他のイスラエル人は神様から距離を保とうとしましたが、モーセは顔と顔を合わせて神様に話しました。
ヨシュアはモーセと一緒に神様に会いに行きませんでしたが、いつも幕屋の近くにいました。
そして、モーセが幕屋を出ても、ヨシュアは幕屋を離れませんでした。なぜなら、神様の近くにいたかったからです。
モーセが神様と話した時、彼の願いは神様を親しく知り、神様の道をよく知りたいということでした。
モーセは祈りました。
今、もしも、私があなたのお心にかなっているのでしたら、どうか、あなたの道を教えてください。そうすれば、私はあなたを知ることができ、あなたのお心にかなうようになれるでしょう。(出エジプト記33:13)
モーセの願いは、彼がどこに行っても、神様がモーセと共におられることでした。だから、モーセは祈りました。
もし、あなたご自身がいっしょにおいでにならないなら、私たちをここから上らせないでください。
私とあなたの民とが、あなたのお心にかなっていることは、いったい何によって知られるのでしょう。
それは、あなたが私たちといっしょにおいでになって、私とあなたの民が、地上のすべての民と区別されることによるのではないでしょうか。(15ー16)
しかし、モーセの一番の願いは神様の顔を見ることでした。
「どうか、あなたの栄光を私に見せてください。」と言いました(18節)。
神様の反応は?
わたし自身がいっしょに行って、あなたを休ませよう。。。
あなたの言ったそのことも、わたしはしよう。
あなたはわたしの心にかない、あなたを名ざして選び出したのだから。(14、17)
神様が許されなかったことはただ一つでした。神様はこう言われたのです。
あなたはわたしの顔を見ることはできない。
人はわたしを見て、なお生きていることはできないからである。(20)
神様は聖なる方だから、罪深い私たちが神様の顔を見て生きることはできません。
(モーセが顔と顔を合わせて神様に話したということは比喩です。その意味は、モーセと神様が親しい関係にあったということです。)
それでも、神様はモーセにその栄光を少し表されました。なぜなら、モーセが神様をもっと知りたかったからです。
どうして、神様はモーセのためにそうされたのでしょうか。
なぜなら、神様は私たちに近づきたいと願っておられるからです。
私たちが神様に近づきたいかどうかにかかわらず、神様は私たちに近づきたいのです。
神様は私たちの名前を知っておられ、私たちと共に歩み、ご自身を現したいのです。
けれども、私たちは神様に近づきたいのでしょうか。
神様はこう問いかけられたのです。
わたしに近づくためにいのちをかける者は、いったいだれなのか。(エレミヤ書30:21)
その箇所はイエス様について語っています。
当時、イエス様だけが神様に近づくことができたのです。
なぜなら、イエス様だけが父なる神様のように聖なる方であったからです。
しかし、イエス様の血によって私たちの罪が清められたので、今では私たちも神様に近づくことができます。
ヤコブは書いたように、
神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。(ヤコブ4:8)
