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出エジプト記

愛の神様、正義の神様

出エジプト記34:5ー7

神様はどのようなお方なのでしょうか。

神様の御性質は何なのでしょうか。

神様はご自身をモーセに現わされた時、その質問に答えられました。神様はこう言われました。

主、主は、あわれみ深く、情け深い神、怒るのにおそく、恵みとまことに富み、恵みを千代も保ち、咎とそむきと罪を赦す者。(出エジプト記34:6-7)

旧約聖書の中で、その言葉は何度も何度も繰り返されています。言葉がほとんど変わらずに、5回も書かれています。(出エジプト記34:6ー7;ネヘミヤ記9:17;詩篇86:15;ヨエル書2:13;ヨナ書4:2)

主はあわれみ深いです。

聖書を読むと、たくさんの例が見られます。

荒野で、神様はハガルという人を二度助けられました。

最初はアブラハムと寝て妊娠した時に、サライに追い出されました。

そして、イサクが生まれた時に、ハガルとイシュマエルがもう一度追い出されました。

けれども、神様はハガルと話し、励まされました。そして、ハガルとイシュマエルを世話されました。

神様は情け深いです。

英語の聖書では「恵み深い」という言葉が使われています。

つまり、私たちが値しないのに、神様は多くの良きものを与えてくださるのです。

例えば、ヤコブは神様から与えられたものに値しなかったのです。

ヤコブは詐欺師であり、とても頑固でした。彼はいつも自分の道を行こうとしていました。

けれども、ヤコブが恐れて兄エサウから逃げた時、神様はヤコブに会いに来られたのです。

そして、アブラハムとイサクに与えられた約束をヤコブにも与えてくださったのです。

さらに、神様はエサウの心の中に働かれたので、ヤコブはエサウと和解することができたのです。

神様は怒るのに遅く、恵みとまことに富む方です。

アダムとエバが罪を犯した時、神様は怒りに燃えておられませんでした。むしろ、愛とご自身の忠実さを表されました。つまり、服を備え、救い主を送ることを約束されました。

神様は恵みを千代も保ち、咎とそむきと罪を赦す者です。

神様はその恵みをイスラエル人に示されました。何度もイスラエル人が反抗したのに、何度も神様は赦して下さいました。神様はイスラエル人を絶えず愛し続けておられたのです。

皆は神様についてそのような言葉が大好きです。私たちは神様の愛とあわれみと赦しについて聞くのが大好きです。

しかし、それだけでは神様の全体を理解できません。神様はこれも言われました。

罰すべき者は必ず罰して報いる者。父の咎は子に、子の子に、三代に、四代に。(7)

以前、私はその言葉の意味を説明しましたが、覚えておかなければならないのは、神様は正義の神だということです。

多くの人々はそのことが好きですが、自分自身も罰を受けなければならないことを聞いたら、文句を言い始めます。

「私はそんなに悪くないよ。私はたくさんのいいことをしています。

私は時々嘘をつくかもしれないけど、みんなもそうするでしょう?

そして、どうして彼女と関係を持つことが悪いのでしょうか。彼女を愛していますよ。

時々妻と子供に対して怒るけど、仕方ないです。このようなことで私は地獄に行かなければならないのでしょうか。」

そうです。人は地獄に行かなければならないのです。神様はすべての罪を必ず罰しなければなりません。

神様は忍耐強いですが、もし私たちが悔い改めなければ、罰を受けることになるのです。

神様に反抗したまま亡くなるなら、神様と共に住むことはできません。永遠に神様から離れ、地獄に行くことになるのです。

しかし、いい知らせがあります。あなたは地獄に行く必要がありません。

イエス様は十字架で死なれて、あなたの罪のために罰を受けてくださいました。

そして、イエス様の働きを信じて、赦しを求めたら、神様があなたの罪を赦してくださいます。

けれども、自分の道を行き続けてはいけません。神様に反抗し続けるなら、「神様は愛の神だから、もちろん私を赦してくださいます」とは言えません。

神様は愛の神です。しかし、神様は正義の神でもあります。

もし、神様の救いの道を拒絶し、つまりイエス様を拒絶したら、神様の正義に直面することになります。

ヘブル人への手紙にはこう書いてあります。

もし私たちが、真理の知識を受けて後、ことさらに罪を犯し続けるならば、罪のためのいけにえは、もはや残されていません。

ただ、さばきと、逆らう人たちを焼き尽くす激しい火とを、恐れながら待つよりほかはないのです。

だれでもモーセの律法を無視する者は、二、三の証人のことばに基づいて、あわれみを受けることなく死刑に処せられます。

まして、神の御子を踏みつけ、自分を聖なるものとした契約の血を汚れたものとみなし、恵みの御霊を侮る者は、どんなに重い処罰に値するか、考えてみなさい。

私たちは、「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする」、また、「主がその民をさばかれる」と言われる方を知っています。

生ける神の手の中に陥ることは恐ろしいことです。(26-31)

だから、私たちはもはや神様に反抗しないようにしましょう。

神様は私たちにあわれみを与えたいのです。私たちが悔い改めるなら、神様は赦してくださるのです。

もしまだしていないなら、今日こそ悔い改めましょう。

第二コリント6章2節に書かれているように、

今は恵みの時、今は救いの日です。

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