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出エジプト記

捧げたい心、仕えたい心

それでは、もうすぐ出エジプト記が終わります。残りは大体幕屋の作り方の命令の繰り返しです。

けれども、この箇所で、私が印象に残っているのは、イスラエル人の心です。

神様はこう言われたのです。

「心に動かされた者、そして心から進んでする者だけが捧げなさい。

心に動かされた者、そして心から進んでする者だけが仕えなさい。」

神様はイスラエル人がいやいやながら捧げることを望まれませんでした。

イスラエル人が強いられて、仕えることを望まれませんでした。

神様はイスラエル人が心から与えて、仕えることを望まれました。

そして、皆はそうしました。結局、皆は有り余るほど捧げたのでモーセが「もういいです。もう十分ありますから、もう捧げないでください。」と言いました。

教会はそのような場所であるべきです。

教会の皆は捧げて仕えるべきです。それは、しなければならないという考え方ではなく、むしろ、神様が心に与えた喜びからするべきです。

パウロはこう書きました。

ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。(第二コリント9:7)

この箇所は与えることについて話していますが、神様に仕えることも同じです。

神様は、私たちがいやいやながら仕えることを望んでおられないのです。

神様は、私たちが心から仕えたいと願って仕えることを望んでおられるのです。

もし、しなければならない気持ちで仕えたり、与えたりしたら、与える喜びと仕える喜びを理解することはできず、神様があなたの供え物を受け入れられません。

あなたはどんな心から与えるでしょうか。どんな心から仕えるでしょうか。

あなたは、皆があなたを見て、「ああ、素晴らしいクリスチャンだね」と言ってほしいでしょうか。

あなたは良いクリスチャンであるためにしなければならないと思って仕えるのでしょうか。

そのような理由で与えるのでしょうか。

それとも、神様があなたに素晴らしい人生を与えてくださっていることに感謝して仕え、与えるのでしょうか。