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レビ記

神様に近づくこと

レビ記1ー3章

それでは、レビ記を始めましょう。

私はレビ記を読むことをとても楽しみだとは言えません。出エジプト記のように、律法や規則、ルールがいっぱいあり、時々とても細かいです。だから、少しつまらないところもありますが、頑張ってみましょう。

今日は捧げ物について話します。

「捧げ物」という言葉は面白いです。「捧げ物」というのはヘブル語で「近づける」という言葉から来ています。つまり、イスラエル人は神様に近づくために捧げ物を捧げたのです。最初の3つの捧げ物を見てみましょう。

最初のは、全焼のいけにえという捧げ物です。私たちは出エジプト記でこの捧げ物について読みました。祭司が神様のために聖別された時に、全焼のいけにえを捧げました。

けれども、レビ記の場合は、皆がその捧げ物を捧げました。

その捧げ物のために、傷のない雄牛を捧げなければなりませんでした。そして、祭司は全部を焼いていました。

この捧げ物には2つの意味がありました。一つは、その捧げ物は罪の贖いのために捧げられました。この捧げ物はイエス様を指していました。つまり、イエス様は完全な神様の子羊として、私たちの罪のために死んでくださいました。

二つ目の意味は、私たちは神様に全てを捧げるということです。何も控えずに全てを捧げるのです。

二つ目の捧げ物は穀物の捧げ物です。これは感謝の捧げ物です。その捧げ物は乳香と一緒に焼かれて、主へのなだめのかおりとなりました。

三つ目の捧げ物は和解のいけにえです。全焼のいけにえのように、「代わり」というシンボリズムがありました。つまり、その動物は人の代わりに罪のために死にました。

しかし、全焼のいけにえと異なり、全部が焼かれたわけではありませんでした。捧げた人はそのいけにえの部分を持って帰り、家族と一緒に食べました。

その捧げ物の意味は、私たちの罪が赦されたことによって、私たちは神様と平和で親しい関係を築くことができるということです。多分、天国の盛大な宴会で食べる日を指しています。

その3つの捧げ物は自発的でした。神様に対する愛によって、皆はこれらの捧げ物を捧げました。

そして、その3つの捧げ物は私たちの神様との関係の絵です。

一つの絵はキリストを通して、私たちは神様と和解することができることです(和解の捧げ物)。ローマ書5:1で、こう書かれています。

ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。

二つ目の絵は私たちが神様にすべてを捧げるということです(全焼のいけにえ)。つまり、私たちの人生のすべては神様のものです。「ローマ書12:1」に、こう書かれています。

そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。

三つ目のは神様に対しての感謝です。つまり、神様は私たちの物理的な必要を備え、私たちの霊的な必要を備えてくださいました。ローマ書8:32で、こう書かれています。

私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。

神様、イエス様の十字架の働きによって私たちがあなたと和解できることを感謝します。その働きによって、私たちはあなたに近づくことができ、親しい関係を築くことができることを感謝します。

全焼のいけにえのように、私があなたに全てを捧げるように助けてください。感謝で満たされた心を与えてください。あなたを愛して、感謝します。アーメン。

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