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レビ記

私たちが神様を聖とみなすこと

レビ記10章

それでは、レビ記10章を読みましょう。

6-7章は捧げ物についてのさらなる戒めがありました。8-9章は祭司の聖職授任式についてです。その式の意味をすでに出エジプト記のブログで説明しました。

10章では、もう一つの不快な話があります。アロンの二人の息子たちは香を盛ったときに、神様の命令に従わずに捧げたため、神様がその二人を殺されました。

どうして神様はその二人を殺されたのでしょうか。その二人はそんなに悪かったのでしょうか。私たちは二つのことを思い出さなければなりません。

まず第一に、その二人は祭司でした。以前私が書いたように、祭司たちは普通の人よりも神様に対して責任がありました。

第二に、その二人は無意識に罪を犯したわけではありません。その二人は意識して罪を犯しました。

出エジプト記30:9で、神様が特別な香を使いなさいと命じられたのに、その二人は自分の香を使ったようです。それに、神様がつけた火を使わずに(9章)、祭司たちは自分でつけた火を使ったようです。それも神様の命令に対する不従順でした。

もう一つの可能性は、その二人が酔ったときにその香を盛ったことです。だから、9節で神様は命じられました。

会見の天幕に入って行くときには、あなたがたが死なないように、あなたも、あなたとともにいるあなたがたの子らも、ぶどう酒や強い酒を飲んではならない。(レビ記10:9)

この箇所の鍵は3節です。神様は言われました。

わたしに近づく者によって、わたしは自分の聖を現し、すべての民の前でわたしは自分の栄光を現す。(レビ記10:3)

つまり、その祭司たちは、神様の方法でせずに、自分の方法ですることによって、神様が聖なる方であることを忘れました。神様が尊敬されるべき方であることを忘れました。

祭司たちにとっては本当に深刻な問題です。なぜなら、皆は祭司たちから霊的なリーダーシップを求めました。もし、リーダーたちが神様が聖なる方とみなさないと、皆はどうするでしょうか。

私たちはどうですか。神様が聖なる方とみなすでしょうか。

多くの場合、私たちは神様の愛と恵みについて話しますが、神様の聖を忘れます。つまり、神様は罪が大嫌いです。また、神様は聖い方です。そのことを忘れると、私たちは不純なことをします。そして、そのことによって、私たちが祭司たちでも、神様の名前を汚します。

神様はアロンにこう言われました。

それはまた、あなたがたが、聖なるものと俗なるもの、また、汚れたものときよいものを区別するため、また、がモーセを通してイスラエル人に告げられたすべてのおきてを、あなたがたが彼らに教えるためである。(10-11)

神様の祭司として、私たちは聖なるものと俗なるものを区別しなくてはなりません。汚れたものと清いものを区別しなくてはなりません。

それに、区別できない人たちに私たちは光になるべきです。しかし、私たちが皆と同じだったら、どのように光になるでしょうか。

もちろん神様は恵みと愛の神なのです。

それでも、私たちは神様が聖なる方であることを思い起こさなくてはなりません。

毎日そのことを心に留めて生きていきましょう。

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