カテゴリー
レビ記

血の意味

レビ記17章

日本では、だいたい皆さんは自分の血液型を知っています。だから、多くの人は友達に聞きます。「あなたの血液型は何ですか。」

長い間、たくさんの人が私にその質問をしてきましたが、私は「知りません」と答えてきました。

皆さんは驚いて、こう聞きます。 「でも、もし入院して血液が必要になったら、どうするのですか。」

けれども、多分、そんな状態だったら、私はもう意識がない状態だと思うので、その質問は意味がないと思います。

とにかく、やっと私は自分の血液型を知るようになりました。

私はA型です。血液型について考えると、皆さんはその人にいろいろな意味をつけます。

A型なら、責任感が強いけれど、少し頑固なところがあります。O型なら、責任に対して少しルーズな傾向があります。AB型なら、優しいけれど、決断するのに時間がかかることがあります。

しかし、神様は、人の血と動物の血に対して、それぞれ異なる意味をお与えになりました。そしてこの箇所では、犠牲の意味と、それがなぜ必要なのかを教えてくださいます。11節には、こう書かれています。

なぜなら、肉のいのちは血の中にあるからである。わたしはあなたがたのいのちを祭壇の上で贖うために、これをあなたがたに与えた。いのちとして贖いをするのは血である。(レビ記17:11)

神様は血を命と関連づけておられます。罪のための罰は死であるため、罪深い人が赦されるには、無罪の者がその罰を受けなければなりません。その人の血、つまりその人の命は、私たちの命のために捧げられなければならないのです。

旧約聖書の時代には、動物の命が人の命の代わりに捧げられていました。しかし、それは完全な犠牲の象徴にすぎませんでした。つまり、イエス様が十字架で私たちの罪のために死んでくださったことを指し示していたのです。

イエス様の死によって、私たちはもはや動物を犠牲として捧げる必要はなくなりました。イエス様こそ、最後の、完全な犠牲です。

ヘブル人への手紙の作者はこう言いました。

血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。。。

しかしキリストは、ただ一度、今の世の終わりに、ご自身をいけにえとして罪を取り除くために、来られたのです。

そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、 キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られ るのです。(ヘブル9:22、26ー28)

私の好きな賛美歌には、次のように書かれています。

あなたの血は私を清めてくださる
あなたの血は私に永遠の命を与えてくださる

あなたの血は贖う犠牲によって
私の罪を取り去ってくださる

その血は私を清めてくださり、
雪よりも私を白くしてくださる
私のイエス様。あなたは神様の尊い犠牲です。

コメントを残す