人間関係について学びたいなら、だれもレビ記を読もうとは思わないかもしれません。でも、レビ記19章には大切な教えがあります。
一番大切なのは、私たちが周りの人々を尊敬すべきだということです。
神様は目の見えない人と耳の聞こえない人を尊敬すべきだと言われました(14節)。また、老人を尊敬しなさいと言われました(33節)。また、あなたと違う人を尊敬しなさいと言われました(33節)。
でも、その前に、神様は言われました。「あなたの両親を敬いなさい。」
なぜそれが大切なのでしょうか。なぜならば、子供の時に、私たちは他の人よりも両親と時間を過ごします。もし、私たちが両親を尊敬できないなら、他の人を尊敬することが難しくなります。
最近、知り合いと話して、彼のご両親との関係が辛そうでした。私は具体的なことは知らないけど、彼がこう言いました。「私は頑張って仲直りしようとしたけど、結局ダメです。」
彼は傷ついていますが、必ずご両親も傷ついていると思います。
関係の問題は、両方が頑張らなくてはなりません。私たちが頑張って仲直りしようとしても、相手も頑張らないとうまくいきません。
でも、相手の態度をコントロールできなくても、私たちは自分自身の態度をコントロールできます。
17-18節で、神様はこう言われました。
心の中であなたの身内の者を憎んではならない。
あなたの隣人をねんごろに戒めなければならない。そうすれば、彼のために罪を負うことはない。
復讐してはならない。あなたの国の人々を恨んではならない。
あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。わたしは主である。(レビ記19:17-18)
この箇所で、神様は私たちが難しい関係にあるときや、私たちが傷つけられた時に、どのような態度を持つべきかを教えてくださいます。
一つは、憎しみがあなたの心に入ることを許してはいけないということです。どうしてでしょうか。それは、私たちの人生のために神様のみ心に反するからです。
ヨハネはこう書きました。
神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。
目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えないか神を愛することはできません。
神を愛する者は、兄弟をも愛すべきです。私たちはこの命令をキリストから受けています。(第一ヨハネ4:20ー21)
神様は私たちの人生に愛を注ぎたいし、私たちの人生から愛が流れることを望んでおられます。でも、心の中で憎しみを持ち続けたら、それは無理です。
二つ目は、問題に直面するべきです。問題を避けてはいけません。神様はこう言われました。「あなたの隣人をねんごろに戒めなければならない。」(17節)英語の翻訳では、「率直に戒めなければならない。」と書いてあります。
イエス様はマタイ18章で同じようなことを言われました。もしあなたの兄弟があなたに対して罪を犯したら、その人に面と向かって責めるべきです。
もし相手が聞き入れないなら、もう一人か二人を連れて行って、その人と話すべきです。もしその人がまだ聞き入れないなら、教会の人たちと一緒にその人と話すべきです。
もし相手がまだ聞き入れないなら、その人から離れたほうがいいです。なぜでしょうか。それは、その人を憎んでいるからではなく、自分自身を守るためです。そうしないと、もう一度、傷つけられるかもしれません。
もし離れることができないなら、感情的に離れたほうがいいです。その人に対して冷たい態度を取るというわけではありません。
でも、その人と接するときに、心の周りに盾を建ててください。つまり、彼らがあなたの感情を気にしないことを覚えて、自分の心を彼らの言葉と行動に対して準備してください。
自分自身を騙さないでください。彼らが本当に変化したことを証明するまで信頼しないでください。
でも、彼らが変化するかどうかに関わらず、神様は「心の中で苦い感じを持ち続けてはいけません」と言われます。「復讐を求めるな。」と言われます。
つまり、その人を許すべきです。許しは、「私を傷つけてもいいです」という態度を取るわけではありません。
でも、許しは苦さを手放すという意味です。許しはその人が私に負っている考えを手放すという意味です。また許しは復讐を手放すという意味です。
最後に、神様は「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」と言われます。(18節)
つまり、イエス様が言われたように、「自分にしてもらいたいことは、他の人にもそのようにしなさい。」(マタイ7:12)
相手があなたに対して優しくすることを期待しないようにしましょう。多くの場合、そうしてくれないでしょう。でも、愛と親切さをもらいたいように、愛と親切さを相手に与えましょう。
彼らは変化するかもしれません。変化しないかもしれません。あなたは彼らの行動をコントロールできません。
でも、あなたは自分自身の行動をコントロールできます。だから、自分自身に問いかけるべきなのは、「彼らは変化するでしょうか」ではなく、「私は変化するでしょうか」ということです。
