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レビ記

神様とその​わざを思い出す

レビ記23章

私は記憶力がいいと思います。私はたくさんのことをよく覚えています。でも、時間がたつと、ある思い出はちょっと曖昧になります。私の妻は私たちの関係について私が忘れたことを覚えています。

例えば、妻は私たちがいつ市役所に行って結婚を登録する日を覚えていますが、私はよく覚えていません。私は結婚式の日をよく覚えていますけどね。

神様は私たちがすぐに忘れることをよく知っておられます。多分、そういうわけで、いろんな祭りと特別な日を確立してくださいました。

最初に、神様は安息日について話されました。その日の目的は、イスラエル人たちが神様が創造主であることを思い出すためでした。つまり、神様はすべての物を造られて、七日に休まれました。

私たちもそれを思い出すべきです。つまり、神様は全能の方であり、神様の知恵と愛によってすべての物を造られました。だから、神様は私たちの問題よりも大いなる方です。そして、私たちが神様に向かったら、どんな試練があっても乗り越えられます。

次に、神様は過越のいけにえと種を入れないパンの祭りについて話されました。それは、神様がイスラエル人をエジプトから救い出してくださったことを思い出させるためでした。彼らは奴隷でしたが、神様はイスラエル人を開放してくださいました。

そのように、神様は私たちをサタンの国から救い出してくださいました。私たちが罪の奴隷でしたが、神様は私たちを開放して、今私たちは神様の息子たちと娘たちになりました。

だからこそ、イスラエル人がエジプトからの自由を祝ったように、私たちも神様が与えてくださったキリストにあっての自由を祝うべきです。

次に、収穫の初穂の捧げ物と七週の祭りです。この祭りは収穫の時に祝われました。おそらく、神様がイスラエル人の必要を備えてくださる方であることを思い出させるためだったのでしょう。

そのように、神様が私たちの備え主であるから、心配することなく必要なものを受け取ることができます。(マタイ6:33)

次に、ラッパの祭りです。それは、イスラエル人のお正月でした。その時、彼らは以前の年を振り返りました。どうしてでしょうか。なぜなら、神様が私たちを造られたので、私たちは神様に対して責任があるからです。

裁きの日が来ます。その日、私たちは神様の前に立って、自分のことを申し開きしなくてはなりません。だから、その日の前に私たちは悔い改めなくてはならないのです。イスラエル人はラッパの祭りと次の祭りの間にそうしました。

次の祭りは、贖罪の日でした。

以前、この日について私は書きましたが、贖罪の日はイスラエル人が自分の罪を思い出すための日でした。つまり、罪を赦されるためには、誰かが犠牲にならなければならなかったのです。自分の努力や力では清められなかったのです。

そのように、私たちは贖いの必要を思い出すべきです。二千年前にイエス様は私たちの罪のために十字架で死んでくださいました。イエス様は​私たちの罰を受けてくださったので、私たちの罪がイエス様の血で覆われました。

それが聖餐式の意味です。感謝の心から、キリストの十字架の働きを思い出します。

最後に、仮庵の祭りがありました。それは、約束された土地に住むイスラエル人にどこから来たのかを思い出させるためでした。つまり、神様はイスラエル人を無事に砂漠を通って導かれたのです。

そのように、私たちは神様がどのように私たちを導いてくださったのかを思い出すべきです。試練があるときにどのように神様が導いてくださったのか、神様が私たちの必要をすべて備えてくださったこと、そして、敵の攻撃から救ってくださったことを思い出すべきです。

私たちがそれを忘れたら、どうなるでしょうか。

一つ目は、私たちは高ぶる者になります。神様なしで、この人生を生きることができると思い始めます。神様からすべてをもらったことを忘れて、自分の努力でその物を得たと思い始めます。

二つ目は、私たちは心配し始めます。仕事について心配したり、経済について心配したり、私たちの必要について心配したりします。なぜなら、私たちは神様が私たちの必要を備えてくださる約束を忘れるからです。

三つ目は、私たちは神様に対して責任があることを忘れます。そして、私たちは自分自身のために生き始めます。

けれども、イエス様は十字架で大きな代価を払って私たちを買い取ってくださったので、パウロが言ったように、私たちはもはや自分自身のものではないのです。

だから、毎日、私たちはへりくだりの悔い改める心をもって神様の前に来るべきです。また、感謝の心を持ってイエス様の十字架の御業を思い出さなくてはなりません。

最後に、私たちは落ち込むようになります。辛い時に、神様が私たちの問題よりも大いなる方であることを忘れるし、以前神様が私たちをどのように助けてくださったかを忘れるからです。

神様は私たちの創造主、備え主、裁判官、贖い主、そして羊飼いです。私たちがこの砂漠の人生を歩むとき、そのことを思い出しましょう。

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