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レビ記

死に導く態度

レビ記24:10-23

これはかなりショッキングな話ですが、とても大切なことを学べると思います。

エジプト人のお父さんとイスラエル人のお母さんのいる人がいました。私はちょっと分からないのですが、多分、イスラエル人がエジプトから逃げた時に、そのお母さんは夫をエジプトに残したのでしょう。

ところが、ある日、その息子はケンカしている時に、神様の御名を冒涜して呪いました。

残念なことですが、私たちの時代に、特に英語を話す国で、神様の名前を冒涜して呪うことは珍しいことではありません。しかし十戒で、神様は命じられました。「主の御名をみだりに唱えてはならない」(出エジプト20:7)。

そして、その時代のイスラエル人は皆その罪の罰をよく知っていたので、ほとんどしませんでした。

私たちはもう一つのことを覚えておかなくてはなりません。イエス様はこう言われました。

人の口は、心に満ちているものを話す。(ルーか6:45)

つまり、その人の神様に対する憎しみと背きの言葉は言葉だけではありませんでした。その言葉はその人の心から来ました。

多分、その人はずっとその態度を隠していました。その人はエジプトを出たくなかったかもしれません。それなのに、お母さんは彼を連れて行ったのです。だから、心の中に恨みを感じたかもしれません。そして、その日、その怒りが湧き上がり、神様の名前を冒涜して呪ったのです。

普通のイスラエル人だったら、多分すぐに殺されたと思います。けれども、その人はエジプト人のお父さんがいたので、モーセはどうしようかと思ったかもしれません。

しかし、神様はその人に対しても同じ罰を与えなければならないと言われました。だから、その人はその罪のために殺されました。

私たちは何を学べるでしょうか。死に導く態度があります。物理的な死だけではなく、霊的な死に導くものです。私たちに神様に対する反抗的な心があって、悔い改めないと、神様から永遠に離れることになります。

時々、人は生意気な態度をとって、その反抗的な態度を示します。神様に対して、反抗的な言葉を言い、わざと神様の言葉に逆らいます。

他の人はそのエジプト人のようにその態度を隠します。教会に行って、良いことを言い、良いクリスチャンのように見えます。けれども心の中で、神様の名前を呪います。

しかし隠しても、隠さなくても、いつかその態度は現れます。神様はあなたの心を知っておられるので、神様を騙すことはできません。

あなたは神様に対して、どんな態度を持っていますか。神様を愛し、柔らかい心を持っていますか。もしくは固い心を持って、神様をあなたの主として認めないですか。

パウロはこう書きました。

ところが、あなたは、かたくなさと悔い改めのない心のゆえに、御怒りの日、すなわち、神の正しいさばきの現われる日の御怒りを自分のために積み上げているのです。

神は、ひとりひとりに、その人の行いに従って報いをお与えになります。

忍耐をもって善を行い、栄光と誉れと不滅のものとを求める者には、永遠のいのちを与え、

党派心を持ち、真理に従わないで不義に従う者には、怒りと憤りを下されるのです。 (ローマ2:5-8)

あなたの心を神様に対して固くしないようにしましょう。その道は死に導くからです。むしろ、あなたの心を柔らかくしましょう。そうしたら、本当の命を見つけることができるでしょう。

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