アメリカのフィラデルフィアという都市にベルがあります。そのベルの上に、この言葉が書いてあります。「国中のすべての住民に解放を宣言する。」
このベルは自由の鐘です。けれども、私はその言葉がベルの上に書いてあることを知りませんでした。もしかしたら、聞いたことがあったかもしれないけれど、ずっと前に忘れてしまっていました。
この言葉はレビ記25:10から来ます。神様はこう言われました。
あなたがたは第五十年目を聖別し、国中のすべての住民に解放を宣言する。これはあなたがたのヨベルの年である。
このヨベルとは何でしょうか。それはキリストにある自由の美しい絵です。
七年おきに、イスラエル人は種を蒔かず、刈り入れもしませんでした。むしろ、七年目は、地の全き休みの安息でした。その時には、六年目の収穫から食べました。また、落ち穂から生えたものを売るために刈り入れてはなりませんでしたが、自分の食事のために食べても大丈夫でした。
そして、安息の年を七たび、つまり、49年おきに、贖罪の日に角笛が鳴り響きました。そして、ヨベルの年が始まりました。
その年には、負債を払うために自分自身を奴隷として売った人は自由にされ、家族のもとに戻りました。
また、もし家族の土地を負債を払うために売っていたら、その土地も戻りました。だから、ヨベルの年は自由と祝いの年でした。
ヨベルの年が贖罪の日に始まったことが大切だと思います。贖罪の日には、罪の代価が支払われました。それから、ヨベルが始まりました。自由の年が始まりました。回復の年が始まりました。つまり、人間関係の回復や土地の回復です。
そのように、イエス様が十字架で私たちの罪のために支払ってくださった時、私たちにとっては新しいスタートでした。私たちと神様の関係が回復されました。また、罪で壊れた人間関係も回復されました。
そして、神様からの遺産も回復されました。それは天国だけではありません。それは、神様が私たちのために初めに計画されたことを回復されたのです。アダムとエバが罪を犯した時に失ったことが回復されます。つまり、愛と平和と喜びと満足です。
しかしそれよりも、神様の子供の自由が回復されました。サタンの国からの自由であり、罪で縛られた人生からの自由です。神様の怒りと裁きを恐れずに、神様を自由に愛して仕えることができるのです。イエス様は十字架で、その怒りと罰を受けてくださったからです。
イエス様はこう言われました。
わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油をそそがれたのだから。
主はわたしを遣わされた。捕らわれ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、主の恵みの年を告げ知らせるために。(ルカ4:18ー19)

One reply on “自由”
[…] それに、イエス様は今、主の恵みを伝えます。この箇所では、多分イエス様はヨベルの年を参照しました。その年、奴隷は解放されたし、負債は許されたし、負債を支払うために売った土地は元の地主に戻りました。つまり、人々は新しいスタートをもらいました。 […]
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