レビ記4ー6章では、罪について五つのポイントを話しました。
この箇所では、罪についてさらに三つのポイントを学べると思います。
一つ目は、人に対して罪を犯すとき、私たちは神様に対しても罪を犯しているということです。
5ー6節で神様は、「人に対して罪を犯したら、私に対しても不信の罪を犯した」と言われました。
たとえば、夫が妻に罪を犯したら、神様に対しても不信の罪を犯しています。両親が娘や息子に罪を犯した場合も同様です。
あなたが隣人、友達、同僚、または知らない人に対して罪を犯したら、それは神様に対しても不信の罪を犯したことになるのです。
ダビデはそのことを理解していました。バテ・シェバと姦淫を犯し、その夫を殺したとき、ナタンがダビデのもとに来て責めました。
ダビデは悔い改めの詩篇にこう記しました。
私はあなたに、ただあなたに、罪を犯し、あなたの御目に悪であることを行いました。(詩篇51:4)
二つ目は、罪を犯したら必ず罰を受けるということです。
罪をどんなに上手に隠しても、いずれ明らかにされます。この世で明らかにされなくても、天国で明らかにされるのです。親しい友達や家族に隠しても、神様からは隠すことはできません。
この箇所の最後の部分で、そのことを学ぶことができます。
夫が妻が姦淫を犯したと思った場合、証拠がなくても祭司のもとに妻を連れて行きました。そして、その妻は苦い飲み物を飲むことになりました。
その後、赤ちゃんができなかったり、流産したりすれば、その妻は有罪とみなされました。けれども、何も起こらなければ、その妻は無罪とみなされました。
この飲み物は魔法ではありませんでした。しかし、神様はイスラエル人のためにこの判断方法を与えられたのです。
そして、神様は心を見通し、有罪の者を罰し、無罪の者を守られました。
三つ目は、誰かが私たちに対して罪を犯したとしても、復讐する権利は私たちにはないということです。
なぜ神様がこの判断方法を与えられたのでしょうか。
それは、夫が罪を犯さないようにするためです。つまり、夫が妬みによって妻を虐待したり、殺したりすることを防ぐためです。
あるいは、妻を離婚することを防ぐためでもあります。神様はこの判断方法についてこう言われました。
夫には咎がなく、その妻がその咎を負うのである。(民数記5:31)
つまり、妻が夫に対して罪を犯したとしても、夫は復讐してはいけませんでした。むしろ、神様に妻を委ねるべきでした。
そのように、私たちも決して復讐をしてはいけません。むしろ、神様にその人を委ねるべきなのです。
ローマ12:19には次のように書かれています。
愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。
「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」
