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民数紀

神様に捧げるときに

民数紀7章

「クリスマスの12日」という歌があります。

その歌は、何度も何度も同じ言葉を繰り返します。その歌が終わるまでに、本当に疲れてしまいます。ですから、その歌があまり好きではありません。

この箇所を読むとき、私は同じような感じがします。

イスラエルの12の部族は神様に同じ贈り物を捧げました。ですから、同じ言葉を12回繰り返します。

モーセの五書の中でこれは一番長い章です(89節です)。

どうして「部族の全ては同じ贈り物を捧げた」と記さなかったのでしょうか。その方がもっと早いでしょう。

おそらく、神様が私たちの贈り物を受け取る際、本当に喜ばれるからです。

神様は「はい、はい、はい。分かりました。ありがとうございます。でも、少し忙しいので、もう行ってください。」と言われません。むしろ、神様は私たちの贈り物を見て、それを尊い物とみなされるのです。

各イスラエルの部族には自分の捧げる日がありました。同じ贈り物を捧げても、モーセはそれをきちんと記録しました。

神様は私たちの贈り物をそのように考えてくださいます。

私たちが何を捧げても、十一献金でも、時間でも、私たちの努力でも、神様はそれをご覧になり、記録されます。

それはなぜでしょうか。私たちが神様の尊い子供だからです。そして、私たちは愛によって神様を喜ばせたいと願うなら、神様の心に触れるのです。

「神様にとって私はあまり大事な存在ではない」と考えたことがありますか。

「私はあまり良いものを神様に捧げることができない」と思ったことがありますか。

神様にとって一番大切なのは、あなたの心だと思います。

もし神様があなたの心を持っておられるなら、あなたが何を捧げても大丈夫です。

神様があなたの心を持っておられるなら、あなたとあなたの贈り物を、世界で最も尊いものとみなしてくださるのです。

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