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民数紀

感謝​を持っている心か不満な心があるでしょうか。

民数記11章

食べ物の中ではチリが大好きです。なぜなら、それしかほとんど料理できないからです。

日本では、私はチリをあまり食べません。最近は、妻が実家に帰るときだけに食べています。私は自分で作るのですが、これは5人前のレシピなので、長い間食べ続けられます。😊

でも、毎日一年中チリを食べ続けるのは無理だと思います。

イスラエル人も、そのような状態に直面しました。彼らはずっと、毎日マナを食べていました。

最初は、本当に感謝していましたが、最終的には飽きてしまいました。

「朝にマナを食べる。昼にマナを食べる。夜もマナを食べる。もう飽きた!他の食べ物が食べたい!肉とか、スイカとか、キュウリとか!」

(なぜキュウリなのか謎ですが。まあまあ好きですが、『本当に食べたい』とは言えません。)

「ニンニクとか玉ねぎとか欲しい!」

(臭い息が好きだったのでしょうか?)

その少し前には、イスラエル人は砂漠での旅について文句を言い、神様に叱られたばかりでした。そのため、神様もモーセも本当に怒っていました。

神様がイスラエル人を奴隷生活から解放し、彼らの必要をすべて備えてくださったにもかかわらず、イスラエルの民はまだ文句を言っていたのです。

そこで、神様は肉を与えてくださいましたが、彼らがそれを食べている間に、神様は疫病をもって人々を討たれ、多くの者が亡くなったのです。

この話から、私たちは何を学べぶことができるでしょうか?

一つ目は、今持っているものに感謝することを覚えておくことです。

イスラエルの民を批判するのは簡単ですが、私たちも同じようなことをどれほどしているでしょうか。

もし第三世界諸国の人たちが私たちが持っているものを手に入れたら、心から喜ぶと思います。食べ物と服と家があれば、本当に満足だと言うでしょう。

それでも私たちは、それらをすべて持っているにもかかわらず、文句を言います。「これが欲しい。あれが欲しい。」と。

もし、私たちが満足を学ぶことができたら、どれほど人生が喜びに満ちるでしょうか。

二つ目は、不満な態度は本当に伝染するということです。

最初に、混じってきた者たちが文句を言い始めましたが、すぐに全員が文句を言い始めました。

同じように、もし私たちの周りの人が常に文句を言っていたら、その態度が私たちに影響を与えないように気をつけなければなりません。

三つ目は、神様が私たちの必要を備える力を持っておられるということです。だから、必要があるときは文句を言わず、神様に祈るべきです。

イエス様はこのように教えられました。

してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。

とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。(マタイ7:11)

モーセが神様の力を疑ったとき、神様はこう答えられました。

主の手は短いのだろうか。わたしのことばが実現するかどうかは、今わかる。(民数記11:23)

そして、神様は皆のために必要なものを備えてくださいました。

最後に、私たちが満たされると思うものは、結局私たちを満たすことができません。

イスラエルの民は肉さえあれば満足できると思いましたが、結局、多くの人が亡くなりました。

彼らはその場所をキブロテ・ハタアワと名付けました。その意味は「欲望の墓」です。

もし私たちの欲望が私たちを支配するなら、私たちも墓に入ることになります。

アルコールや食べ物、タバコ、麻薬などの欲望によって、どれほど多くの人が命を落としたでしょうか。

私たちの欲望によって、私たちの人間関係や経済がどれほど損なわれたでしょうか。

私たちは、私たちを満たすことのできないものを、もう求めないようにしましょう。

むしろ、私たちを本当に満たすことができる神様を求めましょう。そして、感謝をささげましょう。

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