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民数紀

心を尽くして神様に従う

民数記14:24

昔のワーシップソングに、このような歌詞があります。

主よ、私の心をあなたに捧げます。
私の魂をあなたに捧げます。
ただあなただけのために生きます。

私のすべての息のうちに、
私が目覚めている間ずっと、
私の人生で、あなたの御心が成されますように。

教会では、その歌をよく歌いました。そして、多分今でも、多くの歌がその祈りを表現しているでしょう。

けれども、その歌を歌っても、私たちは毎日どれほど神様に心を捧げているでしょうか。

カレブの場合、彼は神様にすべてを捧げました。

たとえ周りが反対意見を言っても、カレブは完全に神様を信頼し、神様に従うことを決心しました。

その結果、ほとんどのイスラエル人が砂漠でさまよい、そこで死んでしまったのに、神様はカレブについてこう言われました。

ただし、わたしのしもべカレブは、ほかの者と違った心を持っていて、わたしに従い通したので、わたしは彼が行って来た地に彼を導き入れる。彼の子孫はその地を所有するようになる。(民数記14:24)

違った心とは、「神様を信じる。神様が何でもできることを信じる」といった心です。

また、「神様が良い方だから、いつも約束を守ると信じる」といった心です。

そして、「このことを信じているから、何が起こっても神様に従う」といった心でもあります。

そのような態度を取れば、心を尽くして神様に従うことができます。それどころか、神様に従い通すことが簡単なことになります。

しかし、もし疑いがあれば、神様に従い通すことは難しいものになります。さらに、神様に心のすべてを捧げることも難しくなるでしょう。むしろ、神様に対して私たちのすべてを出し惜しみするようになるかもしれません。

例えば、将来の経歴やお金、またはミニストリーさえも、心から喜んで捧げられなくなるでしょう。

私はその戦いをよく知っています。なぜなら、心を尽くして神様に従うことについて葛藤することがあるからです。

出し惜しみをするのは簡単です。けれども、そのようにすれば神様を喜ばせることができません。

ヘブル人への手紙の著者はこう書きました。

信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。

神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。(11:6)

神様はあなたの心をどれほど持っておられるでしょうか。

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