ついていったほうがよいリーダーはたくさんいますが、ついていかないほうがよいリーダーもたくさんいます。問題は、悪いリーダーについていくと、彼があなたを穴に引きずり込んでしまうのです。
数年前、私の社長は全くダメなリーダーで、会社は倒産してしまいました。
実は、私はその会社をもっと早く辞めたほうがよかったのですが、ずっとそのリーダーについていたため、結局、私も大変な状態になってしまったのです。
イスラエルの民も同じ教訓を学びました。コラとダタンとアビラムという人々はモーセに反抗し、さらに250人のリーダーとその従う者たちを説得して反抗させたのです。
彼らの最も大きな不満は、モーセがイスラエルの民を神様の約束の地へまだ導いていないということでした。むしろ、皆はずっと荒野をさまよっていたのです。
しかし、彼らは2つのことを忘れていました。
第一に、神様はモーセに何をすべきかを教えておられ、モーセは自分で決断したのではなく、神様に従っていたのです。
第二に、彼ら自身の以前の反抗によってカナンに入ることができなかったのであり、それはモーセのせいではなかったのです。
けれども、もう一つの不満は、コラと他のレビ人が自分の立場に満足していなかったということでした。彼らは祭司を助ける務めを担わなくてはならなかったのですが、むしろ祭司そのものになりたいと望んでいたのです。
だから、彼らは「モーセは力を愛している独裁者だ」と言ったのです。(これは私の意訳です。)
ダタンとアビラムはモーセの前に出ることを拒んだので、モーセとイスラエルの民はその二人のもとへ行きました。
神様はダタンとアビラムに従う者たちを滅ぼそうとされたのですが、モーセがとりなしたため、神様はモーセに語られたのです。
この会衆に告げて、コラとダタンとアビラムの住まいの付近から離れ去るように言え。(民数記16:24)
そして地面が割れて、地はその口を開き、コラ、ダタン、アビラム、そしてその家族を飲み込みました。その後、主のところから火が出て、その250人のリーダーたちを焼き尽くしました。
それでも多くのイスラエル人は文句を言い続けました。
あなたがたは主の民を殺した。(民数記16:41)
神様はそれを聞いて怒られ、彼らを神罰で打たれました。
モーセとアロンはすぐに取りなしをしましたが、多くの人々が亡くなりました。
その後、神様はこう言われました。
イスラエル人に告げて、彼らから、杖を、父の家ごとに一本ずつ、彼らの父祖の家のすべての族長から十二本の杖を、取れ。
その杖にはおのおのの名を書きしるさなければならない。レビの杖にはアロンの名を書かなければならない。彼らの父祖の家のかしらにそれぞれ一本の杖とするから。
あなたはそれらを、会見の天幕の中わたしがそこであなたがたに会うあかしの箱の前に置け。
わたしが選ぶ人の杖は芽を出す。こうしてイスラエル人があなたがたに向かってつぶやく不平をわたし自身が静めよう。(民数記17:1ー5)
その12人は杖を持ってきて、次の日には、アロンの杖が芽を吹き、つぼみを出し、花をつけ、アーモンドの実を結んでいました。
その奇跡によって、皆は神様が誰をリーダーとして選ばれたのかを理解するようになりました。
あなたは誰についていっているでしょうか。どのような状況であれ、それは大切なことですが、霊的な状況において特に重要です。
どのような牧師があなたの教会を導いているでしょうか。
どのクリスチャンの本を読んでいるでしょうか。
インターネットやポッドキャストでどのクリスチャン牧師の話を聞いているでしょうか。
霊的なリーダーにとって何が大切でしょうか。
第一に、その人の心が神様に属していることです。つまり、彼らは心を尽くして神様を愛しているのです。
第二に、彼らが周りの人を真に愛しているかどうかということです。
第三に、彼らが謙遜な人であることです。モーセは世界で最も謙遜な人でした。イエス様もまた謙遜なお方でした。そのような人にこそ、ついていくべきなのです。
自分の立場に全く執着せず、他の人が自分に仕えることを求めるのではなく、むしろ自ら他の人に仕える人です。
第四に、神様の御言葉を正しく教えることです。残念ながら、多くの人はそうしていないのです。彼らは神様を愛し、周りの人をも愛していますが、その教えは神様の御言葉と比べると異なっています。
そのため、その人たちに従う者たちは、神様の御言葉に対して誤った考えを抱くようになってしまうのです。
最後に、そのリーダーの行動は言葉と一致していなければなりません。もちろん、リーダーも罪と戦いますが、その罪について語るときには、「私にとっても難しいのです」と正直に認めるほうが良いでしょう。
イスラエルの民は悪いリーダーに従ったために苦しみました。
同じように、私たちも注意しなければ、苦しむことになるのです。
では、あなたは誰に従っているのでしょうか。
