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民数紀

軽率な言葉、軽率な行動

民数記20章

みんなはいつか限界点に達します。

誰かがあなたを傷つけることがあるかもしれません。

誰かがいつもあなたを怒らせることがあるかもしれません。

そして、あなたはその怒りと傷を心に保ち、隠し続けるかもしれません。けれども、圧力は少しずつ高まり、最終的には爆発してしまうでしょう。

モーセもそのような経験をしました。

モーセは世の中で最も謙遜な人でしたが、40年間ずっとイスラエル人の文句と反抗的な態度に耐えていました。

そして、神様が何度もイスラエル人のニーズを満たされたのに、彼らはまた文句を言い始めました。

ああ、私たちの兄弟たちが主の前で死んだとき、私たちも死んでいたのなら。

なぜ、あなたがたは主の集会をこの荒野に引き入れて、私たちと、私たちの家畜をここで死なせようとするのか。(民数記20:3-4)

(イスラエル人がその事件を見て、主を恐れたのに、もう一度文句を言い始めるのが私は信じられません。)

なぜ、あなたがたは私たちをエジプトから上らせて、この悪い所に引き入れたのか。ここは穀物も、いちじくも、ぶどうも、ざくろも育つような所ではない。そのうえ、飲み水さえない。(5)

モーセが主の前に出たとき、神様はこのように言われました。

杖を取れ。あなたとあなたの兄弟アロンは、会衆を集めよ。

あなたがたが彼らの目の前で岩に命じれば、岩は水を出す。

あなたは、彼らのために岩から水を出し、会衆とその家畜に飲ませよ。(8)

モーセが本当にこう考えたかどうかは分かりません。けれども、多分イスラエル人の所に戻る途中で、モーセはこう思ったかもしれません。

「この人たちは信じられない。なぜ彼らの文句を何度も聞かなければならないのでしょうか。

40年だよ!40年間、繰り返し彼らの文句を聞き続けていた。

でも、問題はイスラエル人だけじゃない。なぜ神様は毎日しっかり備えてくださらないのでしょうか。

そうすれば、私は誰の文句を聞く必要もないのに。

「岩を打て!」

「岩に命じよ!」

すべて無駄だ!」

そして、やっと皆が岩に到着すると、モーセのフラストレーションが湧き上がりました。

モーセは皆に向かって叫びました。

逆らう者たちよ。さあ、聞け。この岩から私たちがあなたがたのために水を出さなければならないのか。(10節)

そして、モーセは岩に命令せず、岩を打つと、水が流れ出てきました。

神様は恵みを示され、水を与えてくださいました。それでも、神様はその行動を喜ばれませんでした。

そして、神様はモーセにこう言われました。

あなたがたはわたしを信ぜず、わたしをイスラエルの人々の前に聖なる者としなかった。

それゆえ、あなたがたは、この集会を、わたしが彼らに与えた地に導き入れることはできない。(12)

詩篇106:32-33には、このように書かれています。

彼らはさらに、メリバの水のほとりで主を怒らせた。

それで、モーセは彼らのためにわざわいをこうむった。彼らが主の心に逆らったとき、彼が軽率なことを口にしたからである。

軽率な言葉。

軽率な行動。

その言葉と行動によって、神様への信頼を欠いた態度、また神様を尊敬しない態度を示してしまいました。それは、モーセがコントロールを失い、怒りに負けてしまったからです。

しかし、私たちはどれほど同じことをしているでしょうか。私たちは怒りによって軽率な言葉を口にします。または、傷つけられたことで軽率な行動を取ってしまいます。

以前、私は砂漠の岩がイエス様の象徴であることを話しました。(第一コリント10:4)

その岩を一度だけ打つことで水が出てきましたが、その後は命じるだけで水が流れ出ました。

同じように、イエス様は十字架で私たちの救いのために一度だけ打たれました。そして今、私たちはイエス様に話しかけ、「あなたは主」と告白し、赦しを願うことで、生きた水、つまり永遠の命を受け取ることができます。

しかし、もし私たちが感情に負けて、イエス様への信頼を欠いた言葉を発したり、イエス様を尊敬しない行動を取ったりすれば、それはもう一度イエス様を打つようなものです。

そのように、アダムとエバも神様への信頼を欠き、背いたため、イエス様が十字架に行かなくてはなりませんでした。

なぜ、私たちが救われたのに、不信仰と不尊敬な態度を示し続けるのでしょうか。

私たちは皆、傷つけられることがあります。私たちは皆、怒ることもあります。

けれども、その時に、私たちはどのように振る舞うべきでしょうか。

傷つけられても、神様への信頼を示し行動するでしょうか。神様を敬って行動するでしょうか。

それとも、軽率な言葉や行動によってイエス様を打つのでしょうか。

パウロはこのように書いています。

怒っても、罪を犯してはなりません。

日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。

悪魔に機会を与えないようにしなさい。(エペソ4:26ー27)

私たちが怒りを持ち続け、その怒りが化膿してしまうと、悪魔に機会を与えてしまいます。そして、軽率な言葉や行動が出てきてしまいます。

ですから、悪魔にそのような機会を決して与えないでください。

むしろ、私たちの言葉と行動を通して、イエス様を信頼し、尊敬しましょう。イエス様はその価値があるお方だからです。

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