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民数紀

悪いことをすることをもう決めた

民数紀22章

去年、私は面白い話を読みました。

ある日、その著者は、ビデオレンタル店に行き、友達と一緒に見るために良いビデオを借りようと思いました。一つのDVDを見て、少し微妙だと思ったそうです。

つまり、クリスチャンにとっては多分見ないほうがいい内容だと思いました。

それでも、彼はこう考えました。

「このビデオはそんなに悪くないかもしれない。私たちは大人だし、少しぐらい悪い言葉やシーンがあっても、大丈夫だろう。」

けれども、レジに向かう途中で、彼は少し不安になりました。

「もし教会の人が私がこのビデオを借りるところを見たら……」

それでも、彼はレジに行き、店員にそのビデオを渡しました。

その時、店員が彼のIDカードを見て、顔が明るくなり、こう言ったそうです。

「確か、あなたは___さんでしょう?あなたの本が大好きです。」

その著者は、死ぬほど恥ずかしかったそうです。

けれども、どれほど私たちは同じことをしているでしょうか。

私たちは何が悪いことかを知っています。

聖霊様の声が聞こえているのに、それを無視して悪いことをしてしまいます。

バラムも同じようにしました。モアブの王バラクはバラムに願いました。「イスラエル人を呪ってください。」

しかし、神様はバラムに「ダメだ」と言われました。

バラクがバラムの答えを聞き、もう一度、人を送り、さらに多くのお金を約束しました。そして、バラムは「少し考えさせてください」と答えました。

神様はバラムがすでに行くことを決めているのをご存じだったため、それを許されましたが、条件を与えられました。

それは、「私があなたに命じた言葉だけを言いなさい」というものでした。

けれども、バラムはバラクに会いに行く途中で、神様の言葉を避ける方法を考えていたかもしれません。

そこで、神様は彼を止めるために天使を送られました。その天使は剣を持ち、道に立ちはだかりました。

多くの人はこの話をすでに知っているかもしれません。これは有名なバラムのろばの話です。

この出来事を通して、神様は明確に言われました。

「私の民を呪うな。もし呪おうとするなら、あなたは死ぬ。」

多くの場合、私たちはバラムのようです。神様の言葉をよく知っているのに、罪の魅力に惹かれて、神様の御言葉をどうやって避けるかを考えてしまいます。

私たちが悪いことを行うことを心の中で決めてしまうと、何も私たちを止めるものはありません。

しかし、罪を犯せば、必ずその結果を刈り取ることになります。

私たちは皆、誘惑に直面します。その時、どうするでしょうか。すぐに逃げるでしょうか。

それとも、バラムのように、心の中でその罪についてよく考えてしまうでしょうか。

私たちは、自分のしたいことを行うために、神様の言葉をどうやって避けるかを考えるでしょうか。

エペソ人への手紙4章30節には、こう書いてあります。

神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。

私たちは肉の欲に負けるために救われたのではありません。むしろ、私たちはその肉の欲から解放されるために救われたのです。

だから、パウロが書いたように、

また、あなたがたの手足を不義の器として罪にささげてはいけません。むしろ、死者の中から生かさ れた者として、あなたがた自身とその手足を義の器として神にささげなさい。

というのは、罪はあなたがたを支配することがないからです。なぜなら、あなたが たは律法の下にはなく、恵みの下にあるからです。(ローマ6:13ー14)

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