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民数紀

祝福を決めておられる神

民数紀23ー24章

これは興味深い話です。モアブの王バラクは何としてでもイスラエル人を呪いたいと考えていました。バラムもバラクを本当に助けたいと思っていました。

けれども、神様はその二人の計画を止められました。

何度もバラクはバラムに言いました。「その国を呪いなさい。」

しかし、何度もバラムは答えました。「申し訳ありません。私は祝福しなくてはならないのです。」

そこで、バラクはバラムをイスラエル人の一部だけが見える場所に連れて行きました。そしてバラクは言いました。

「わかりました。イスラエル人全員を呪うことができないのなら、この一部の人々だけを呪ったらどうでしょうか。」

けれども、神様はバラムにこの言葉を与えられました。

立て、バラクよ。そして聞け。ツィポルの子よ。私に耳を傾けよ。

神は人間ではなく、偽りを言うことがない。人の子ではなく、悔いることがない。

神は言われたことを、なさらないだろうか。約束されたことを成し遂げられないだろうか。

見よ。祝福せよ、との命を私は受けた。

神は祝福される。私はそれをくつがえすことはできない。(民数記23:18-20)

神様は全く変わらない方です。神様はいつも約束を守ってくださいます。

そして、神様は私たちを愛しておられるので、私たちを祝福したいと望んでおられます。

人間は変わることがあっても、神様は決して変わらないのです。

神様は私たちにどのような祝福を与えてくださるのでしょうか。

それは、神様の臨在(23:21)、救い(23:22)、悪霊からの守り、敵に対する勝利(23:24;24:8–9)、豊かな人生(24:5–7)、そして名誉(24:7)です。

では、この祝福を阻むものは何でしょうか。

それは、神様から逸れた心です。

イスラエル人もそのことを学びました。

しかし、神様の御手に留まるなら、私たちは祝福されます。そして、誰も—人でも悪霊でも—その祝福を奪うことはできません。

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